ジャン=マリー・ル・ペン

政治家(フランス)。フランスの極右政党である国民戦線(FN、現在の党名は国民連合(RN))の創始者および初代党首として有名。同じく政治家で、同党の党首を務めるマリーヌ・ル・ペンの父。同じく政治家で、同党に所属する国民議会(下院)議員であるマリオン・マレシャル=ルペンの祖父。なお、「ジャンマリ・ルペン」「ジャンマリー・ルペン」などと表記されることも多い。

1928年、フランス共和国西部ブルターニュ地方にあるラ・トリニテ=シュル=メール生まれ。1947年にパリ大学に進学し、在学中にはインドシナ戦争への従軍なども経験しながら、法学を修めた。1956年、国民議会議員選挙に立候補し初当選。1958年には、フランス大統領選挙に出馬するも、落選した。以後、右翼政治家として活動を続け、1972年に国民戦線を結成、初代党首となる。また、1974年以降、5回に渡って大統領選挙に立候補、2002年には決選投票に進出し、「ルペン・ショック」と呼ばれるほど国内外に衝撃が広がった。さらに、欧州連合(EU)欧州議会や地域圏議会で議員を務める一方で、人種差別に繋がる発言によって、たびたび罰金刑を受けた。広島の原爆投下について、「大したことではない」と話し、物議を醸したこともある。2011年に党首を引退、名誉会長に就任するが、その後も問題発言を繰り返し、2015年に党より除名処分を受けた。

ジャン=マリー・ル・ペン 死因

フランスのパリ近郊ギャルシュにある施設にて死去。死因について詳細は明らかになっていないが、病気であると思われる。96歳。数週間前より施設に入所し、健康問題の対処にあたっていたとのこと。

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