(みうらこういち)
歌手。主に文芸をテーマとした「文芸歌謡」にて多くのヒット曲を持つ。三橋美智也・春日八郎とともに「御三家」と呼ばれ、お茶の間から大きな人気を博した。
1928年、神奈川県三浦市生まれ。東洋音楽学校(現・東京音楽大学)を卒業後、1952年に日本ビクターレコード(現・ビクターエンタテインメント株式会社)に入社。1953年、「さすらいの恋唄」で歌手デビューを果たす。以後、NHKの年末恒例行事である紅白歌合戦に通算8回出場(1955年、および1957~1963年)するなど、数々のヒット曲とともに人気歌手となった。
その人気は留まるところを知らず、上述の通り、「ミッチー」「みっちゃん」などの呼称で多くのファンから親しまれた三橋美智也、および通算21回の紅白歌合戦出場歴を誇る春日八郎とともに「御三家」と呼ばれ、昭和の歌謡界を支える存在に登り詰めた。
主なシングル曲に、上述した1953年のデビュー曲「さすらいの恋唄」や、同年に発表され最初のヒット曲となった「落葉しぐれ」を始め、「あれが空似というものか」「男なら」「弁天小僧」「灯影のギター」「ああダムの町」「北海だより」「珠はくだけず」「三浦三崎のマドロスさん」「旅愁はてなし」「新ソーラン節」「哀愁の高速道路(ハイウェイ)」「純愛」「われらの皇太子」「東京の人」「君よいずこに」「花ひととき」「桜の園」「初恋」「この日のために」「涯なき旅路」「みどりの河」「洞爺湖畔の夕月に」「君ありて恋は悲しく」「青葉の笛」「みどりの河」「東京踊り」「のぞみあらたに」「ちぎれ雲」「天と地と・天上の笛」「若き血に燃えて」など多数。
そのほか、「住友銀行行歌」「昭栄製紙株式会社社歌」「新潟国体の歌」「北方領土の歌」といった企業・イベントなどの社歌やテーマ曲も発表している。
さらに、「唄祭母恋しぐれ」「唄祭けんか道中」「流転」などの映画や、「笑っていいとも!」「意地悪ばあさん」などのテレビ番組、「ほんだし」(味の素株式会社)といったテレビCMなどでも活躍した。
主な受賞歴に、日本演歌大賞、日本レコード大賞(功労賞)などがある。
三浦洸一 死因
死因は、老衰であった。97歳。死去の事実は、家族葬などが執り行われたあと、亡くなって10日ほどが経過してから日本歌手協会により発表された。2012年より事実上の引退生活に入り、2023年頃から東京都内の病院に入院していたという。