鈴木恵一

(すずきけいいち)
元スピードスケート選手。公益財団法人日本スケート連盟副会長。男子500mスピードスケート元世界記録保持者であり、これまでに数々の世界的なスプリンターを生んできた日本の元祖エースとして知られている。

1942年、北海道苫小牧市生まれ。北海道苫小牧工業高等学校に在学中から頭角を現し、国体とインターハイの2冠を複数年に渡って達成するなど将来を期待される若き選手として注目を集めた。明治大学に入学後、1964年のオーストリア・インスブルックで開催されたオリンピックで五輪初出場を果たし、5位に入賞。1966年に大学を卒業したあとは国土計画(現・株式会社コクド)に所属。巧みなカーブワークで、1968年・1970年の2度に渡ってスピードスケート500mの世界記録を樹立した(記録はそれぞれ39秒2、38秒71)。また、1968年のフランス・グルノーブルオリンピック、1972年の札幌冬季オリンピックにも金メダルの有力候補として出場したものの、実力通りの結果は残せなかった。1972年の札幌冬季オリンピックでは、日本選手団の主将として選手宣誓も務めている。

現役引退後はプロ野球の西武ライオンズにて球団職員に就任。のちに広報部長となり、工藤公康、石毛宏典、清原和博といった人気選手の調整役としてチームを支えたほか、日本スケート連盟にて強化部長や理事、副会長を歴任した。さらに、母校である明治大学のスケート部監督、2006年のトリノオリンピックにおけるスピードスケート代表監督、2010年のバンクーバーオリンピックにおける日本選手団総監督なども務めながら、長らくスケート界を支えた。

著書に、「スピードスケート」などがある。

鈴木恵一 死因

埼玉県所沢市にある病院にて死去。死因は、腎不全であった。82歳。

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