(もりながたくろう)
経済アナリスト・エコノミスト。埼玉県草加市に本部を構える獨協大学で教授を務めたほか、タレントとしても活躍し、数々の番組に出演した。証券アナリスト・経済アナリストである森永康平の父。
1957年、東京都目黒区生まれ。毎日新聞社で記者を務めていた父親の仕事の都合で幼少時代を海外で過ごし、中学生時代に帰国。1980年に東京大学を卒業し、日本専売公社(現・日本たばこ産業株式会社(JT))に入社。経済企画庁や三井情報開発総合研究所などへの出向を経て、2004年に獨協大学の特任教授に就任。一方で、2003年の「年収300万円時代を生き抜く経済学 – 給料半減が現実化する社会で「豊かな」ライフ・スタイルを確立する!」が200万部以上の売り上げを記録するベストセラーとなったのを始め、数々の著書を発表。歯に衣着せぬ論調が人気を呼び、「モリタク」の愛称で親しまれながら、テレビやラジオにも引っ張りだことなった。そのほか、アニメ美少女のフィギュアや、グリコのおまけ、ライター、食玩、有名人のサイン入り名刺、おもちゃの缶詰など、数々の収集マニアとしても知られ、2014年には自宅のある埼玉県所沢市に約10万点というコレクションを展示する「B宝館」をオープンした。
著書(共著・編著・監修を含む)に、上述したベストセラー「年収300万円時代を生き抜く経済学」を始め、「悪女と紳士の経済学」「リストラと能力主義」「デフレとお金と経済の話」「成功するEメール 失敗するEメール」「日本経済50の大疑問」「日本経済最悪の選択」「続・年収300万円時代を生き抜く経済学」「ミニカーから全てを学んだ」「辞めるな!キケン!!」「森永卓郎の声に出して読めない謎かけの本」「カネ持ちの陰謀 年収格差100倍時代のいきかた」「デキる男がハマる女」「モリタクの人たらしのうまいやつが成功する」「森永卓郎の経済なんでも相談室」「B級コレクションのススメ」「森永卓郎の年収復活!」「モリタク流ポイントカード徹底活用術」「ニュースのウラ読み経済学」「大貧民 – 2015年日本経済大破局!!」「モリタク流アキバ経済学」「グリコのおもちゃ図鑑 」「消費税は下げられる!」「年収200万円でもたのしく暮らせます」「老後資金なしでも幸せに生きられる」「投資依存症 – こうしてあなたはババを引く」「官僚生態図鑑」「身辺整理・死ぬまでにやること」「日本経済復活へのファイナルアンサー」「お金に縛られない生き方のすすめ」「オタクに未来はあるのか!?」「資本主義はどこまで暴走するのか」「痩せりゃいい、ってもんじゃない!」「楽しい!2拠点生活」「親子ゼニ問答」「教育格差の真実」「ザイム真理教と闘う!救民内閣構想」「年収300万円時代でも元気に生き抜くやりくり家計術」「年収300万円のサラリーマンでも1年で120万円貯まる裏ワザ」「物価の文化史事典」「ユニクロと古着」「トミカコレクション」「お金持ちになるちょっとした習慣術」「あと1億円生涯収入を増やす本」「この10大テーマのツボを押さえれば、経済ニュースがスラスラ読める!」「あなたの懐かしい一冊」「新型コロナ – 19氏の意見」「社説対決・五番勝負」など、多数。
出演したテレビ番組は、「ビートたけしのTVタックル」「ニュースステーション」「がっちりマンデー!!」「太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中。」「ピンポン!」「情報ライブ ミヤネ屋」「おもいッきりDON!」「がっちりアカデミー!!」「Nスタ」「ドデスカ!」「ネプリーグ」「秘密のケンミンSHOW」「ゴールドハウス」など、報道番組・情報番組に限らず、バラエティ番組やクイズ番組など多岐に渡る。
また、「メイドインジャパン」「SPEC 〜 警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿 〜」「義母と娘のブルース」「指定弁護士」「アキラとあきら」「逆転裁判」などのテレビドラマや映画で演技を披露したほか、「ショウアップナイターニュース」「中西一清スタミナラジオ」「男はつらいよリクエスト」「森永卓郎ジャーナル」「モーニングワイド」「こんちわコンちゃんお昼ですょ!」「霜降り明星のオールナイトニッポン」などのラジオ番組でも活躍した。
「セキスイハイム」「ハナマルキ」「ライザップ」「アップフロントワークス」など、CM出演も多数。さらにニンテンドーDS用ソフト「森永卓郎のお金の新常識DSトレーニング」の監修にも携わるなど、各方面でマルチな活躍を見せた。
森永卓郎 死因
埼玉県所沢市にある自宅にて死去。死因は、原発不明癌であった。67歳。2023年末に人間ドックによりステージ4の膵臓癌と診断され余命宣告を受けるも、その後も抗癌剤治療を続けながら精力的に活動。亡くなる前日にも、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ!」にリモートで出演しており、1週間程前から急激に体調が悪くなった旨を告白していた。さらに、長男である森永康平氏によれば、亡くなる数時間前まで、ニッポン放送のラジオ番組に電話出演する意思を示していたという。