吉田義男

(よしだよしお)
元プロ野球選手・監督・コーチ・解説者・評論家・タレント。阪神タイガースにて遊撃手(ショート)の名手として活躍し、監督としても1985年に球団として初めての日本一に導いた功績で知られている。「よっさん」の愛称で親しまれる一方、現役時代の華麗な守備は「牛若丸」と称され、遊撃手として歴代最多のベストナイン9回選出を誇る。そのほか、野球フランス代表の監督も務めた経歴から「ムッシュ」も呼ばれる。

1933年、京都府京都市生まれ。1950年、京都府立山城高2年のときに夏の甲子園に出場。その後は立命館大学に進み、1年時からレギュラーとして活躍した。1953年に大学を中退し、阪神タイガースに入団。1年目から遊撃手としてレギュラーとなり、打撃でも119安打を放って存在感を発揮した。1954年・1954年には盗塁王を獲得するなど、足の速さも秀逸。1962年・1964年のセントラル・リーグ優勝にも大きく貢献した。1969年をもって現役を引退。その功績が称えられ、背番号「23」は1987年に永久欠番となっている。

プロ通算成績は、通算17年間で2,007試合に出場、6,980打数1,864安打、打率2割6分7厘、ホームラン66本、350盗塁。

監督としては、1975~1977年、1985~1987年、1997~1998年の3期に渡って阪神タイガースを牽引した。特に第2期である1985年には、21年ぶりのセ・リーグ優勝、および上述の通り、球団史上初の日本一にまで導いた。

吉田義男 死因

兵庫県西宮市にある病院にて死去。死因は、脳梗塞であった。91歳。2024年末まで阪神OB会に出席するなど元気な姿を見せていたが、その後体調を崩したという。

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