(むらやまとみいち)
政治家・元総理大臣。日本社会党の委員長として、1994年に第81代内閣総理大臣に就任し、自由民主党・日本社会党・新党さきがけの連立政権を先導した。
1924年、大分県大分市生まれ。明治大学を卒業後、労働組合の指導者、大分市議会議員、大分県議会議員などを経て1972年に衆議院議員選挙に出馬、初当選を果たす。その後、日本社会党国会対策委員会委員長、衆議院予算委員会理事などを歴任し、1993年に日本社会党委員長に就任。1994年6月、55年体制で日本社会党と対立を続けてきた自由民主党と連立することを決断、自社さ連立政権において第81代内閣総理大臣に就いた(1996年1月まで在任)。内閣総理大臣在任中には、阪神淡路大震災での初動対応が遅れたことにより、政府の危機管理の在り方を徹底追求されたこともあった。
2000年6月、衆議院解散に伴って政界を引退。その後も、日朝国交促進国民協会会長、日中友好協会名誉顧問などを務め、2006年に桐花大綬章を受章。2024年には100歳を迎えたことについてのコメントを地元大分合同新聞に寄せるなどしていた。
トレードマークの長い眉毛が人気を呼び、「進め!電波少年」(日本テレビ)などのバラエティ番組や「男はつらいよ – 寅次郎紅の花」などの映画に出演したこともある。
著書(共著を含む)に、「村山富市が語る「天命」の五六一日」「私の後藤田正晴」「こんなに違う!村山談話と安倍談話」「慰安婦問題とアジア女性基金」など。
村山富市 死因
大分県大分市内にある病院にて死去。死因は、老衰であった。101歳。歴代の内閣総理大臣では2番目の長寿記録保持者であった。

