人工知能研究家・認知科学者・計算機科学者(アメリカ)。プログラミング言語「Lisp」の創案者。同じく人工知能研究科であるマービン・ミンスキーとともに「人工知能の父」と呼ばれ、現在に至る人工知能(AI)進化の流れを作った人物として世界的に有名。研究内容をオープンにするスタンスでも知られ、「ユーザーとの対話が可能な人工知能プログラムの開発」を目指していた。
1927年、アメリカ合衆国マサチューセッツ州の北東部にあるボストン生まれ。若い頃から数学を得意とし、高校時代に大学レベルの数学を独学で学んでいたという。カリフォルニア工科大学を卒業後は、ニュージャージー州プリンストンに本拠を構えるプリンストン大学にて研究を続け、1951年に数学のPh.D.を取得した。1953年にはスタンフォード大学に移り、1962年に同大学の教授に就任。
1955年に作成した提案書にて世界で初めて「人工知能」(AI:Artificial Intelligence)という用語を用いたほか、1958年には人工知能の開発に適したプログラミング言語「Lisp」を開発。コンピューターの活用によって人々の生活を豊かにすることを目指しながら、人工知能の研究に尽力し続けた。1966年にはソビエト連邦(現在のロシア)の科学者と、コンピューターによる米ソ・チェス対局を実現するなど、チェス好きとしても知られている。
アメリカ合衆国カリフォルニア州にある自宅にて死去。死因などの詳細は明らかになっていない。84歳。