亡くなった有名人の情報を知ることには意味がある

特定の分野で秀でた能力を発揮する、歴史に名を残す偉業を達成する、世界を変革するイノベーションを起こす、公の場で愛くるしい姿を披露しお茶の間の話題になる…など、様々な理由によって世間に名が知られている人物が、いわゆる「有名人」です。中には、犯罪を犯したり、大きな事故を起こしたり、あるいはそれらに巻き込まれたり…など、決して歓迎すべきではない理由で有名人になってしまった人もいます。

ともあれ、芸能人・タレント・スポーツ選手・ミュージシャン・アナウンサー・政治家・学者・活動家・文化人など、あらゆる有名人は、少なからず人々の生活に影響を与え、我々が接触する様々な事象が変化する際の刺激やカンフル剤となり、人間が生きていく上での文化や文明、時代の流れや社会の風潮を形作っています。だからこそ、有名人の訃報は、多くの人の関心を誘い、時に負の刺激を与え、メンタルに波紋を起こすことさえあります。

人間は一人では生きていけない

「人間は一人では生きていけない」とはよく言われることです。どんなに孤独で殻に閉じこもった人間でも、あるいは孤高の境地に身を置いていると自ら表明する一匹狼でさえ、何らか他人の影響を受けながら生きています。

山の奥深くに身を潜ませ、自給自足で命を繋ぎ、人間が作り出した偉大な文化や文明に全く触れることなく毎日を過ごす仙人ですら、親が存在し、他人の影響を受けながら人格や思考が形作られ、成長した今があることに違いはありません。もっとも、現在の姿のみを取り上げれば、自分一人で空気を吸い、大地に立ち、緑や太陽など自然の恵みを享受している瞬間は確かにあるのかもしれませんが、それは一般社会に暮らす我々でも同じことです。

そもそも、もしそのような仙人が、我々の暮らす一般社会を「下界」と呼ぶとしたら、その下界で他の人間が社会を形成し、共に歩み、互いに叱咤しながら協力し、相乗効果を生み出しつつあらゆるファクターの進歩や進化を遂げ続けているからこそ、自らが悠々と山奥で生き続けられるのではないでしょうか。そうでなければ、この地球上で人間がここまで幅を利かせている歴史は存在しないはずです。

決して仙人を否定する意図はありませんが、何にせよ、「人間は一人では生きていけない」ということは、例外なく人類すべてに当てはまる真理だということを強調しておきたいのです。

有名人の訃報は時に巨大なインパクトとなる

「人間は一人では生きていけない」からこそ、人によっては身近な人物の訃報と同じように、否、ともすればそれ以上に、有名人の訃報が、思いもよらない衝撃をもたらし、ネガティブな余波を引き起こしながら、巨大なインパクトとなって我々の社会に影を落とすことがあります。

それ故か、人は無意識に、誰々が亡くなったという話を口にします。単に興味本位による話のネタとして取り上げるケースがあることを決して否定はしませんが、それでもその心理の奥底には、口に出して周囲の人間と共有することで、多少なりとも混乱に陥っている脳内の状態を落ち着かせ、自らに対する負の影響から免れ、ストレスを発散させたいという無自覚の願望が働いているはずです。自分は違う、死ぬ訳がない、と言い聞かせながら、少しでも死から遠ざかりたい想いもあるのかもしれません。

亡くなった有名人の情報を知ることには意味がある

だからこそ、亡くなった有名人の生い立ちや職業を始め、生前の功や死因について知ることには、大きな意味があります。悼む心やお悔やみの気持ちを持つだけではなく、それらを知り、その内容に思いを馳せながら深く考察することで、自らが今後生きていく血肉としなくてはなりません。それが、この世に残されたものに課せられた、亡くなった有名人に対する礼儀であると考えるからです。

当サイトは、生前に多大なる影響を及ぼした有名人が亡くなった情報を記録として残し、風化させないために公開されています。そうすることで、その有名人が生きた証を再確認すると共に、生き続ける私たちが様々な思いを巡らせ、ただ訃報を嘆くだけではなく、それを未来に向かって皆で前進するための助力に変えられることを祈りながら。

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