笠谷幸生

(かさやゆきお)
スキージャンプ選手・オリンピック金メダリスト。同じくスキージャンプ選手である笠谷昌生の弟。紫綬褒章受章者。文化功労者。

1972年の札幌冬季オリンピックにおけるノルディックスキー・ジャンプ70m級(現在のノーマルヒル)で、力強いジャンプ(踏切り)と空中での美しい姿勢を武器に好記録を連発。日本人として初めて冬季五輪金メダリストとなったことで有名。なお、当大会では日本勢が表彰台を独占し、「日の丸飛行隊」と呼ばれた。

北海道後志支庁余市郡大江村(現在の北海道余市郡仁木町)に生まれ、幼少時代より遊びとしてスキージャンプに親しみながら育つ。北海道余市高等学校(現在の北海道余市紅志高等学校)から明治大学を経て、ニッカウヰスキーに入社。1964年のインスブルックオリンピック(オーストリア)から4大会連続で五輪出場を果たすなど、日本スキージャンプ界の第一人者として活躍した。1976年のインスブルックオリンピックを最後に現役を引退。以後、それまで兼任していたコーチ業に専念し、日本スキー連盟のジャンプヘッドコーチを務めるなど後進の育成に尽力した。そのほか、日本スキー連盟常務理事、同連盟競技本部長、日本オリンピック委員会(JOC)理事、同委員会選手強化本部副本部長などの要職を歴任。1998年の長野オリンピックでは飛型審判員として、また、2010年のバンクーバーオリンピックでは日本選手団副団長として日本選手の活躍を見守るなど、一貫して日本スキージャンプ界の発展に貢献してきた。

北海道札幌市内にある病院にて死去。死因は、虚血性心疾患であった。80歳。

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