鈴木健二

(すずきけんじ)
アナウンサー・司会者。元NHK(日本放送協会)所属、その後フリーとして活躍した。映画監督・俳優である鈴木清順の弟。台本を丸暗記した上、多方面に渡る豊富な知見を基にした巧妙な番組進行は、「最後の職人アナウンサー」と称えられた。

東北大学を卒業後、テレビ放送が開始される前年の1952年にNHKへ入局。アナウンサーとして主に報道ジャンルで活躍したのち、1978年から1984年までNHK総合テレビジョンで放送されていた教養番組「歴史への招待」や、1981年から1988年まで同じくNHK総合テレビジョンにて放送されていたクイズ教養番組「クイズ面白ゼミナール」などの司会者としてお茶の間の人気を博した。特に、「クイズ面白ゼミナール」では、最高視聴率42.2%を記録。博識ぶりを惜しみなく披露し、高い視聴率を生み出した。

また、1983年から1985年にはNHKが主催する年末恒例の大規模音楽イベント「紅白歌合戦」の司会も務め、1984年には、引退する都はるみにアンコールを希望する際に「私に1分間時間をください」との言葉を発し、流行語にもなった(後日、このセリフと同名の著書も発刊)。そのほか、300万部(文庫本を含めると400万部)を超える大ベストセラーとなった「気くばりのすすめ」(1982年)の著者としても知られている。1988年にNHKを退職し、その後は青森県近代文学館長、青森県立図書館長、熊本県立劇場館長などを歴任していた。

司会を務めた主な番組には、上述した「歴史への招待」や「クイズ面白ゼミナール」、「NHK紅白歌合戦」のほか、「鈴木健二の人間テレビ」「70年代われらの世界」などがある。

発表した著書には、上述した「気くばりのすすめ」を始め、「話術の科学」「女性らしい話し方」「鈴木健二のスピーチ商法」「鈴木健二の生々酒転」「愛のかたち」「鈴木健二の聞き方入門」「誰とでも話してやろう」「上手な話し方のコツ」「苦しいからもう少し生きてみよう」「新しい手紙全書」「愛のかたち・女が女であることの美しい条件」「人間の価値は何で決まるか」「他人の生きざま私の生きざま」「敬語に強くなる本」「この人と語ろう」「ビッグマン愚行録」「30代に男がしておかなければならないこと」「男が40代にやっておくべきこと」「こんな暮らしを知ってますか?」「鈴木健二の話し方ゼミナール」「生きることは苦しくてもなお素晴しい」「男は20代に何をなすべきか」「本を読むとこんなにトクをする」「好かれる人になる一日一訓」「現代文章作法」「気くばりのすすめ<続>」「いい話し方はいい人間関係をつくる」「ベストビジネスマンへの道」「鈴木健二の大直言・これでいいのか、日本人は」「鈴木健二 – お元気ですか」「信用を育てる技術」「ふれあう心の一日一訓」「世の中を生きる人間学」「心を燃やそう」「人間の魅力とは何か」「いまリーダーがなすべきこと」「男が10代にやっておくこと」「鈴木健二のお父さん子どもに野性を贈ろう」「定年よ、小志を抱け」「鈴木健二の仕事のマナー」「心の知恵を生きる」「主役で生きるか脇役で生きるか」「こんな女(ひと)には二度と会いたくない」「鈴木健二の家族のマナー」「男が定年に決意すべきこと」「愛する女性(ひと)は愛される」「頭はうまく使わなきゃ」「迷いながら生きてるのが人間なんだ」「男が50代になすべきこと」「こころ物語」「ネアカ人間のすすめ」「仕事に生きる男の魅力とは何か」「男は定年をどう迎えるべきか」「いい話し方はいい人間関係をつくる」「お嫁さんに読ませる本」「歴史に学ぶ不惑の人生」「へたな頭の使い方で一生を終わるな!」「鈴木健二のビジネスマン・サバイバル読本」「男50代自分自身を生きるヒント」「楽天的なほうがうまくいく」「鈴木健二流ボランティアのすすめ」「次の生き方・一歩踏み出そう!!」「夫婦平凡読本」「今、読書が日本人を救う」「不器用なアナタへ」「夫婦は何を語り合って生きるのか」「人は50代60代に何をなすべきか」「新・気くばりのすすめ」「人生は、いつだって「次の一歩」から開ける」「この世に人を殺してもいい日はない」「老いの災厄・七転びはしても八起きはない」「人間の光沢」「死神の恐笑」「私に1分間時間を下さい!」「何のため、人は生きるか」「愛はほんとうの自分を教えてくれる」「プレイバック高校時代」「いま、女性が考えていること」など、枚挙に暇がない。

福岡県福岡市内にある病院にて死去。死因は、老衰であった。95歳。死去の事実は、近親者によって葬儀などが済まされたあと、亡くなってから5日後に明らかとなった。

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