(やしろあき)
歌手(演歌)・女優・タレント。また、世界最古と言われる美術展である「ル・サロン」(フランス)で5年連続の入選を果たすなど、画家としての顔も持ち合わせていた。
1971年にシングル曲「愛は死んでも」でデビュー。1973年に発表した「なみだ恋」でスターダムにのし上がった。その後も数々のヒット曲を連発し、1980年には「雨雨ふれふれ、もっとふれ」の歌詞と、その際の振り付けが印象的な「雨の慕情」にて、第22回日本レコード大賞を獲得した。
そのほかの発表曲は、「別れてあなたを」「恋街ブルース」「女ごころ」「愛ひとすじ」「愛の執念」「おんなの夢」「ともしび」「愛していません」「貴方につくします」「夢魔のブルース」「もう一度逢いたい」「おんな港町」「愛の終着駅」「涙の朝」「舟唄」「女の街角」「あなたに逢いたい」「女心は港の灯」「はまなすの花が咲いたら」「海猫」「積木の城」「あなたと生きる」「日本海」「愛しても今は他人」「恋は火の川」「花束(ブーケ)」「愛を信じたい」「熱海あたりで」「ラッキーマンの歌」「ミスターサムシングブルー」「ほんね」「グアム慕情」「あした天気になーれ」「新宿なみだ町」「裸足のシンデレラ」「骨までしびれるブルースを」「白い花」「不知火情話」「昭和の歌など聴きながら」「東京音頭」「デスティニーラブ」「クレオパトラの夢」「この広い宇宙のかなたで」「追憶の面影橋」「心をつなぐ10円玉」「明日に生きる愛の歌」「想い出通り」「居酒屋・昭和」「MU-JO」など、多数。
発表したアルバムには、「なみだ恋」「演歌ごころ」「演歌の旅路」「ゴールデンスター・ツイン・デラックス」「愛の執念」「愛・12章」「八代亜紀リサイタル」「昭和流し唄」「影を慕いて」「いつの日も歌を」「演歌熱唱」「もう一度逢いたい」「スーパー・デラックス20」「おんな港町」「激唱」「愛されてみたい」「スター・ゴールデン・デラックス」「愛の終着駅」「燃えて翔べ」「オリジナル・ベスト」「スーパースター・ヒット全曲集」「あなたと生きる」「ヒット歌謡20・なみだ川」「夜のアルバム」「夜のつづき」など、こちらも多数。
大晦日恒例となっているNHK開催の大規模歌番組「紅白歌合戦」には、1973年の「なみだ恋」による出場を皮切りに1987年までの15回連続出場を含む、実に23回の出場歴を誇る。その間、トップバッター1回、大トリ(最終歌唱)2回を含むトリ3回を務めている。
歌手・タレントとしての主な受賞歴に、上述した日本レコード大賞の大賞を始め、同じく日本レコード大賞の歌唱賞・最優秀歌唱賞・金賞・企画賞・特別金賞・作詞賞、日本有線大賞(優秀賞)、日本歌謡大賞(放送音楽賞)、全日本有線放送大賞(功労賞)、日本作詩大賞、日本テレビ音楽祭グランプリ、横浜音楽祭賞、FNS歌謡祭最優秀視聴者賞、ゴールデン・アロー賞(音楽賞)、メガロポリス歌謡祭・演歌メガロポリス賞、国際宝飾展・日本ジュエリーベストドレッサー賞、松尾芸能賞(大賞)など、枚挙に暇がない。また、2010年には、年季を重ねても衰えぬ歌唱技術と魅力的な歌声が高く評価され、文化庁長官表彰を受けた。
画家としての受賞歴には、上述した「フランス ル・サロン展」5年連続入選を始め、日本・フランス現代美術展・芸術家協会名誉会長、同・会長連署功労賞、政経文化画人展・内閣総理大臣賞などがある。なお、「フランス ル・サロン展」は、画家の登竜門とも言われている世界的に由緒ある美術展の1つ。
著書や写真集に、「八代亜紀・不知火」「八代亜紀写真集/熱唱・燃えて哭く・・・」「八代亜紀写真集/望郷」「愛蔵版・燃える恋歌」「みんな、こどもだった/八代亜紀抒情画物語(画集)」「素顔(自叙伝)」「舟唄ビューティー」「八代亜紀のゆる〜い3カ月骨盤ダイエット」などがある。
八代亜紀 死因
死因は、急速進行性間質性肺炎であった。73歳。膠原病の一種で、難病指定されている「抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎」から同病を併発、2023年8月に当人の公式サイトにて活動休止する旨を発表し、闘病生活を送っていた。訃報は、公式サイトにて、亡くなってから10日が経過した2024年1月9日に公表された。