歌手・俳優。「赤いグラス」「硝子のジョニー」など、数々のヒット曲で知られ、年末恒例の大イベントであるNHK紅白歌合戦に12年連続で出場した実績を誇る。なお、デビュー当時は「黒田春雄」(くろだはるお)という芸名であった。
1933年、当時イギリス領だった香港に生まれ、各国を転々としながら1943年に日本の大阪へ移住。1953年、米軍キャンプ基地やナイトクラブなどで流しのギタリストやクラブ歌手として活動しながらテイチクレコード(現在の株式会社テイチクエンタテインメント)の歌手試験に合格。「裏街ながし唄」で「黒田春雄」としてデビューを果たした。1959年には芸名を「アイ・ジョージ」と改め、ラテン曲を巧みに歌う数少ない本格派として、数々のヒット曲を連発するようになる。1960~1971年には前述した通り、年末恒例のNHK紅白歌合戦に12回連続で出場。また、1963年のアメリカ・ニューヨークにおけるカーネギーホールでの熱唱も大きな話題となった。
主な発表シングルには、上述した代表曲「赤いグラス」「硝子のジョニー」や、デビュー曲である「裏街ながし唄」を始め、「泪のチャペル」「マカレナの乙女」「カチート」「聖者の行進」「愛のきらめき」「哀愁のトランペット」「東京夫人」「ワン・レイニー・ナイト・イン・トウキョウ」「何日君再来」「別れのバラード」「自由通りの午後」「アスタ・マニアーナ」「戦友」「遠くへ行きたい」「北国の海」「あばよルージュよカクテルよ」「ラ・マラゲーニャ」「サーカスの娘」「チサラ」「エーゲ海に捧ぐ」などがある。
発表したアルバムには、「無題 〜 アイ・ジョージ 男の歌」「ヒット集」など。
俳優として数多くの映画にも出演しており、その作品には、「充たされた生活」「アイ・ジョージ物語」「十一人のギャング」「ある恋の物語」「ミスター・ジャイアンツ – 勝利の旗」「昭和最大の顔役」「セカンド・ラブ」「出獄の盃」「二人だけの砦」「傷だらけの不敵者」など。テレビドラマでは、「仕事人大集合」など。
主な受賞歴に、日本レコード大賞(歌唱賞)など。
アイ・ジョージ 死因
死因は、心筋梗塞であった。91歳。東京都内にある自宅で倒れているところを親族が発見し、死亡が確認されたという。心臓には、ペースメーカーが入っていた。死去の事実は、亡くなって1ヶ月以上が経過した2月下旬に明らかとなり、各メディアにて報道された。