志村喬

(しむらたかし)
俳優。特に、多くの黒澤明監督作品にて存在感を示した昭和期の名優。実業家で、横浜ゴム株式会社の社長も務めた島崎敬夫の弟。紫綬褒章・勲四等旭日小綬章受章者。

兵庫県朝来郡に生まれ、関西大学の在学中に演劇に興味・関心を持ち始めて演劇研究会へ参加。その後、アマチュア劇団の結成や、ラジオ劇への出演などを経て、1934年に新興キネマ株式会社の京都撮影所に入り、映画俳優としての道を歩み始める。デビュー作は、サイレント映画の「恋愛街一丁目」であった。その後、数々の映画に出演するようになるが、上述の通り黒澤明監督の作品には不可欠な存在となり、通算で21本の黒澤作品に出演している。アメリカ合衆国のニューヨーク・タイムズ・カンパニーが発行している高級日刊新聞氏「NYタイムズ」において、「世界一の名優」と評価されたこともある。

出演した主な映画には、デビュー作となった「恋愛街一丁目」を始め、「万五郎青春記」「忠次売出す」「姓は丹下名は茶善」「嫁取り裸道中」「十六夜日記」「浪華悲歌」「江戸の花和尚」「赤西蠣太」「刺青奇偶」「弥次㐂夛道中記」「鞍馬天狗(シリーズ)」「右門捕物帖(シリーズ)」「鍔鳴浪人」「江戸最後の日」「海を渡る祭礼」「加藤隼戦闘隊」「宮本武蔵」「姿三四郎」「織田信長」「一番美しく」「わが青春に悔なし」「明日を創る人々」「四つの恋の物語」「わが愛は山の彼方に」「女優」「春の目ざめ」「てんやわんや」「暴力の街」「女殺し油地獄」「青い真珠」「虎の尾を踏む男たち」「港へ来た男」「生きる」「次郎長三国志」「母の初恋」「ゴジラ(シリーズ)」「男ありて」「生きものの記録」「風流交番日記」「三十六人の乗客」「多羅尾伴内」「どたんば」「日蓮と蒙古大襲来」「花の大障碍」「かげろう絵図」「コタンの口笛」「点と線」「戦国群盗伝」「べらんめえ芸者」「悪い奴ほどよく眠る」「サラリーマン忠臣蔵(シリーズ)」「モスラ」「若いやつ」「天国と地獄」「妖星ゴラス」「椿三十郎」「悪の紋章」「恐怖の時間」「大盗賊」「太陽は呼んでいる」「フランケンシュタイン対地底怪獣」「黒部の太陽」「日本のいちばん長い日」「産業スパイ」「風林火山」「関東おんな悪名」「男はつらいよ(シリーズ)」「ごろつき無宿」「ここから始まる物語」「華麗なる一族」「ノストラダムスの大予言」「天平の甍」「お吟さま」「日本フィルハーモニー物語・炎の第五楽章」などがあり、枚挙に暇がない。これらはほんの一部であり、すべてをここに掲載するとどれほどのページ面を割くのか想像もつかないほど。

出演した主なテレビドラマには、「夫婦百景」「天と地と」「黄金の日日」「獅子の時代」「女たちの忠臣蔵」「新しき日々」「剣」「さぶ」「水戸黄門」「大岡越前」「台風娘がやって来た」「風来先生」「大忠臣蔵」「まんまる四角」「どっこい大作」「一心太助」「だいこんの花」「ねぎぼうずの唄」「じゃがいも」「助け人走る」「どてらい男」「家族熱」「あ・うん(シリーズ)」「薔薇海峡」「剣と風と子守唄」「銀座わが町」「人妻椿」「おゝい雲」「男じゃないか」などがある。

著書や、本人をテーマとした書籍に、「芝居ひとすじに」「記録志村喬」「男ありて – 志村喬の世界」などがある。

東京都新宿区にある病院にて死去。死因は、慢性肺気腫による肺性心であった。76歳。晩年は肺気腫との診断を受け、体調の悪化と戦いながら仕事を続けていた。さらに最晩年は病状が進み、入退院を繰り返していたという。

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