黒川紀章

(くろかわきしょう)
建築家・一級建築士・実業家・思想家・活動家。株式会社黒川紀章建築都市設計事務所の代表取締役社長を務める。芸術分野における国の栄誉機関「日本芸術院」の会員でもある。日本を代表する世界的建築家の1人。女優である若尾文子の夫。正四位旭日重光章・芸術文化勲章・都民文化栄誉章・フランス芸術文化勲章シュヴァリエ・フランス芸術文化勲章オフィシエ受章者。文化功労者。

丹下健三に師事し、建築理論メタボリズムを提唱しながら数々の世界的建築物の設計に携わった。フランス建築家協会正会員・日本景観学会会長などを歴任。

2007年には政治家を志し、東京都知事選挙や参議院議員選挙に立候補するも、いずれも落選した。

主要作品(国内外を問わず、手掛けた建築物など)に、こどもの国セントラルロッジ、佐倉市役所庁舎、下田プリンスホテル、ソニータワー、青山ベルコモンズ、日本赤十字社本社、六本木プリンスホテル、国立文楽劇場、ベルリン日独センター、ウインズ銀座、広島市現代美術館、沖縄県庁舎、メルボルンセントラル・ショッピングセンター、リパブリックプラザ、ホテル京セラ、福井市美術館、京セラ本社ビル、ゴッホ美術館新館、豊田スタジアム、東建本社丸の内ビル、アスタナ新国際空港、千種タワーヒルズ、吉運堂ストーンミュージアム、ガスプロム・アリーナなど、多数。

主な受賞歴に、毎日芸術賞、高村光太郎賞、リチャード・ノイトラ賞、日本建築学会賞作品賞、日本芸術院賞、国際都市賞など、多数。

著書に、「メタボリズムの発想」「都市デザイン」「プレファブ住宅」「TOKYO大改造」「花数寄」「新遊牧騎馬民族ノマドの時代」「共生の思想」「新・共生の思想」「グレーの文化」「都市革命―公有から共有へ」「日本まさに荒れなんとす」Each One A Hero」など、多数。

病院にて死去。直接の死因は、心不全であった。73歳。数年前に膵臓癌を患い、闘病生活を送っていたという。なお、癌に罹患していることは、妻である若尾文子にさえ伝えていなかった。

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