木原光知子

(きはらみちこ)
元水泳選手・タレント・実業家・水泳指導者・アドバイザー。「木原美知子」(本名、読み同じ)での活動歴もある。「ミミ」の愛称で親しまれた。実業家で、JU中四国会長・JU岡山理事長・K&Mインターナショナル代表取締役などの要職を歴任した木原信良の妹。旭日小綬章受章者。

中学時代から水泳選手として頭角を現し、14歳にもかかわらず一般の部に出場して100m背泳ぎで3位となるなど規格外の選手だった。高校在学中には、東京オリンピック(1964年)に日本代表として出場。また、1966年にタイ・バンコクで行われたアジア競技大会では、100m自由形・200m自由形・4×100m自由形リレー・4×100mメドレーリレーの4種目で金メダルを獲得するなど、実力と人気を兼ね備えたトップ選手として活躍した。

現役引退後は、タレントとして大手化学企業である東レ株式会社の水着モデルや大磯ロングビーチのキャンペーンガールを務めたり、実業家として水着ブランドの設立や水泳教室の運営を手掛けたりするなど、多方面で活躍。また、日本水泳連盟の理事(女性として初)を始め、日本スポーツ産業学会、社団法人日本プールアメニティ施設協会、 社団法人日本マスターズ水泳協会、 公益財団法人笹川スポーツ財団、財団法人上月スポーツ財団、財団法人橋田文化財団など、数々の法人やスポーツ団体において理事や委員、評議員といった要職を歴任した。

タレント時代には、「金メダルへのターン!」「ベルサイユのトラック姐ちゃん」「今日だけは」「たんぽぽ」「ゆうひが丘の総理大臣」「非情のライセンス」「まんが道」「おんな太閤記」などのテレビドラマや、「連想ゲーム」「クイズDEデート」「カップル誕生」「おしゃべりな夜」「みのもんたの朝ズバッ!」といったトーク番組やバラエティ番組にも出演し、さらには、「センチメンタル渚」「みじかい爪」といったシングル曲を発表して歌手としても活動するなど、アイドル的な人気を博した。

その他、1986年より水泳選手として現役に復帰。世界マスターズ水泳大会やウーマンズ・スイム・フェスティバルに出場し、50m自由形や50m背泳ぎで何度も優勝。マスターズの日本記録や世界記録を打ち立てるなど40歳を過ぎても活躍を続けた。

神奈川県平塚市にある病院にて死去。死因は、くも膜下出血であった。59歳。水泳の指導中にプールにて倒れて意識不明となり、病院に緊急搬送。一時は意識を取り戻したものの、僅か5日後に帰らぬ人となってしまった。

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