俵萠子

(たわらもえこ)
評論家・随筆家(エッセイスト)。ニュースキャスター・政治評論家である俵孝太郎の元妻(離婚後も「俵」の姓を使い続けている)。大阪府大阪市出身。なお、「萠」の字は技術的な理由などで正確に表記できないケースがあり、「俵萌子」とされることもある。

大阪外国語大学卒業後、フジサンケイグループの新聞社・出版社である産経新聞社に入社。1965年の退社後に評論家として活動を始め、家庭問題・女性問題・教育問題などをテーマとした評論を展開。

1977年には、同じく評論家である吉武輝子や参議院議員である田中寿美子らと共に「政治を変えたい女たちの会」を結成の上、参議院議員通常選挙に東京都選挙区から出馬するも、落選。

その他、癌患者間における親睦支援などを行う特定非営利活動法人「がん患者団体支援機構」理事長や、「1・2の3で温泉に入る会」会長、東京都中野区教育委員なども務めた。また、1995年に群馬県の中部にある勢多郡富士見村・赤城山に「俵萠子美術館」を設立(2008年、死去に伴い閉館)するなど、陶芸家としての顔も持つ。

著書に、「命を輝かせて生きる」「親は逃げられない」「俵萠子の教育委員日記」「子どもの世話にならずに死ぬ方法」「教師にのぞむこと」「離婚は怖くない」「どぎまぎ性教育」「ママ、日曜でありがとう」などがある。

東京都渋谷区にある病院にて死去。死因は、肺炎であった。77歳。

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