伊良部秀輝

(いらぶひでき)
プロ野球選手(投手)。日本のプロ野球(NPB)のほか、アメリカ合衆国のメジャーリーグ(MLB)でも活躍し、アジア人として初めてワールドシリーズ・チャンピオンを経験するなど、輝かしい成績を残している。

150km台後半を連発する速球投手として、1988年シーズンよりロッテ・オリオンズ(のちの千葉ロッテ・マリーンズ)で活躍。対戦相手だった日本ハムファイターズの大沢啓二監督(当時)に「伊良部クラゲ」と呼ばれて恐れられるなど、先発ローテーションの一角としてチームに貢献。その後、鳴り物入りで1997年シーズンよりアメリカのメジャーリーグに参戦し、ニューヨーク・ヤンキース、モントリオール・エクスポズ、テキサス・レンジャーズでプレイした。帰国後は、阪神タイガースの一員として再び日本のプロ野球に参戦。さらには、北米の独立リーグ「ゴールデンベースボールリーグ」に所属する「ロングビーチ・アーマダ」や、日本の独立リーグ「四国・九州アイランドリーグ」に所属する「高知ファイティングドッグス」でもプレイした。

日本のプロ野球(NPB)における通算成績は、稼働11年間で273試合に登板、72勝69敗11セーブ、奪三振1,282、防御率3.55。メジャーリーグでの通算成績は、稼働6年間で126試合に登板、34勝35敗16セーブ、奪三振405、防御率5.15だった。

アメリカ合衆国・ロサンゼルス近郊にある自宅にて死去。死因は、首吊り自殺であった。42歳。体内からは大量のアルコールが検出されたほか、家族との別居生活や事業の失敗といった苦難が続いており、精神的に追い詰められていたとされる。

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