小泉淳作

(こいずみじゅんさく)
日本画家・陶芸家。政治家である小泉策太郎の息子。俳優・司会者として活躍した小泉博の兄。

神奈川県の鎌倉市に生まれ、慶應義塾大学を中退の上、「美校」と呼ばれた東京府(当時)唯一の美術専門学校「東京美術学校」(現在の東京藝術大学・美術学部の前身)に入学。同じく日本画家で、文化勲章受章者でもある山本丘人に師事した。卒業後、デザイナーなどへの従事を経て、1954年に「花火」にて新制作展に初入選を果たす。

40代となって画壇から遠ざかり、どこの団体に属することもなかったため、「孤高の画家」と称された。50代後半より水墨画に開眼、数々の作品を残した。受賞歴に、山種美術館賞優秀賞、MOA岡田茂吉賞(大賞・絵画部門)などがある。

主な作品に、上述した「花火」を始め、「山を切る道」「新雪の鳥海山」「奥伊豆風景」「双龍図(京都建仁寺天井画)」「雲龍図(鎌倉建長寺天井画)」「東大寺別当清水公照師像」などがある。

また、北海道河西郡中札内村には、製菓メーカーである六花亭の施設「中札内美術村」内にて「小泉淳作美術館」が2002年より開館しており、デッサン、風景写真などの代表作品が展示されている。

神奈川県横浜市内にある病院にて死去。死因は、肺炎であった。87歳。

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