長嶋茂雄

(ながしましげお)
元プロ野球選手(内野手)・監督。「ミスタージャイアンツ」「ミスタープロ野球」などと称えられ、言わずと知れた野球界の象徴として長年君臨してきた。野球の人気を支え、日本を代表するスポーツに押し上げた第一人者。読売ジャイアンツ終身名誉監督、日本プロ野球名球会顧問、ジャイアンツアカデミー名誉校長、株式会社読売巨人軍専務取締役など、数々の肩書を持つ。元プロ野球選手でタレントでもある長嶋一茂、スポーツキャスター・実業家である長島三奈、および元レーシングドライバー・環境活動家である長島正興の父。国民栄誉賞受賞者。文化勲章受章者。文化功労者。東京都名誉都民。なお、戸籍上は「長嶋茂雄」だが、一時期は「長島茂雄」の表記もメディアなどで多用され、正式なものと見なされている。

千葉県印旛郡(現在の千葉県佐倉市)出身。立教大学を卒業後、1958年に読売ジャイアンツ(巨人)入団。デビュー戦こそ国鉄・金田正一の前に4打席連続三振で終わったものの、初年度から中心選手として活躍。打点王・本塁打王(2冠)、および新人王を獲得した。1年遅れて早稲田実業高校より巨人に入団した王貞治(現・ソフトバンク球団会長)とのコンビは「ON砲」と呼ばれ、1965年からの9年連続日本一に貢献するなど、長年に渡ってチームを牽引した。

1974年度までのプロ生活17年間における通算成績は、2,186試合出場、8,094打数2,471安打、ホームラン444本、打点1,522、打率3割0分5厘。主なタイトルに、本塁打王(2回)、首位打者(6回)、打点王(5回)、リーグMVP(5回)など。1974年10月14日、引退試合後に行われたセレモニーでのスピーチで発した、「我が巨人軍は永久に不滅です」のセリフはあまりにも有名。実はスピーチの草稿では「永遠に不滅です」となっており、それを本人が読み間違えたと言われている。

引退後の1975年からは監督として巨人を先導し、リーグ優勝5回、日本一2回。特に、1996年は広島カープに最大11.5ゲーム差をつけられながら、最終的にはリーグ優勝を果たし、「メークドラマ」の名言を残した(同年の新語・流行語大賞 年間大賞を受賞)。1988年には野球殿堂入りを果たし、2002年に巨人軍終身名誉監督となった。

その生き様はたびたび映画化もされており、「ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗」「巨人軍物語 進め!!栄光へ」「燃える男・長島茂雄 – 栄光の背番号3」などの作品が残されている。

そのカリスマ性・タレント性からCMにも数多く起用されており、代表的なものに「セコムしてますか」のセリフが記憶に新しい「セコム」を始め、「住友VISAカード」「住友不動産」「トヨタ自動車」「日本ケロッグ」「三菱UFJ信託銀行」「第一三共ヘルスケア」「千葉銀行」「田辺製薬」などがある。

著書に、「燃えた、打った、走った!」「長島茂雄のトランジットタイム」「ネバーギブアップ」「野球は人生そのものだ」「ミスタープロ野球・魂の伝言」など。

主な受賞歴に、日本プロスポーツ大賞、ベストドレッサー賞(特別賞)、東京スポーツ映画大賞(監督賞)、報知プロスポーツ大賞(特別功労賞)、朝日スポーツ賞、ビッグスポーツ賞(特別功労賞)、都民文化栄誉賞、ベスト・ファーザー(イエローリボン賞)など、多数。

長嶋茂雄 死因

東京都内にある病院にて死去。死因は、肺炎であった。89歳。2004年には脳梗塞で倒れたが、体の麻痺を克服するため過酷なリハビリテーションに取り組み、再び元気な姿を公の場に見せるようになった。2018年には胆石の治療で入院し、一時は命も危ぶまれたが、その際も不屈の精神で復活を遂げていた。

タイトルとURLをコピーしました