永田雅一

(ながたまさいち)
実業家・映画プロデューサー。プロ野球チーム「大映ユニオンズ」(現在の千葉ロッテマリーンズの前身の1つ)のオーナーとして、パシフィック・リーグの初代総裁を務めたことなどでも知られている。その語り口調は「永田ラッパ」と呼ばれ、多くの人々からリスペクトを受けた。紫綬褒章・藍綬褒章・フランス芸術文化勲章受章者。

京都府京都市に生まれ、幼少時代は父親の借金などで厳しい生活を強いられていた。小学校卒業後に上京するも厳しい状況は続いたが、1925年に日本活動写真(現在の日活株式会社)の京都撮影所に入所。映画界で働き始めてから状況が徐々に好転。1942年には、大日本映画製作(大映)を成立させ、のちに社長となる。1953年には、東宝・東映・松竹・新東宝に働きかけて5社協定の締結を主導。業界においてトップレベルの影響力を持つ人物にのし上がった。1948年には、大映球団(のちの大映ユニオンズ)を組織し、上述の通りパシフィック・リーグの総裁も務めるなど、プロ野球界でも大きな存在感を示すことになる。なお、没後ではあるが、野球殿堂入りも果たしている。

そのほか、個人所有していた競走馬である「トキノミノル」が東京優駿(現在の日本ダービー)を制するなど、馬主としても成功を収めた。桜花賞・優駿牝馬の2冠を勝ち取った「ヤマイチ」、天皇賞馬である「オーテモン」なども当人所有の競走馬である。

死因は、急性肺炎であった。79歳。

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