中曽根康弘

(なかそねやすひろ)
元政治家。第71代~73代内閣総理大臣。衆議院議員(当選20回)。従一位・大勲位菊花章頸飾。参議院議員である中曽根弘文の父、衆議院議員である中曽根康隆の祖父。

その他、防衛庁長官、通商産業大臣、科学技術庁長官、運輸大臣、行政管理庁長官、東アジア共同体評議会会長、新憲法制定議員同盟会長、自由民主党総裁、自由民主党幹事長、自由民主党総務会長、公益財団法人「世界平和研究所」会長、拓殖大学総長・理事長・名誉総長などを歴任。自民党の重鎮として、 小泉純一郎首相(当時)から定年制導入のために引退要請を受け、政界から引退するまで、大きな存在感を示した。

「青年の理想」「日本の主張」「南極 : 人間と科学」「日本のフロンティア」「心のふれあう都市 : 21世紀への提言」「二十一世紀日本の国家戦略」「自省録-歴史法廷の被告として」「日本の総理学」「わたしがリーダーシップについて語るなら」「中曽根康弘が語る戦後日本外交」「なかそね荘 賢人たちは激動の10年をどう見つめてきたのか-」など、多くの著書も残している。

死因は、老衰であった。101歳。昭和の時代に内閣総理大臣を経験した人物が軒並み他界してしまう中、唯一、令和時代まで存命だった。

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