八木保太郎

(やぎやすたろう)
脚本家。サイレント映画全盛の時代に脚本家となり、トーキー映画に遷移するにつれ数々の作品で脚本を手掛けた。「八木保太郎」のほか、「毛利三郎」(もうりさぶろう)、「毛利三四郎」(もうりさんしろう)といった名義での活動歴もある。

群馬県群馬郡(現在の群馬県高崎市)に生まれ、当初は俳優を志して日本映画俳優学校に入学したものの、その後日活株式会社の大将軍撮影所助監督部に入り助監督となった。さらにそののち脚本家としてデビュー。以後、数々の映画で脚本に携わった。

手掛けた作品には、「この母を見よ」「人生劇場」「限りなき前進」「こんな女に誰がした」「風にそよぐ葦」「山びこ学校」「りゃんこの弥太郎」「米」「第五福竜丸」「越後つついし親不知」「愛と死をみつめて」「橋のない川」「遺書・白い少女」などがある。

主な受賞歴に、毎日映画コンクール・脚本賞(1964年、今井正が監督を務めた「越後つついし親不知」、および齋藤武市が監督を務めた「愛と死をみつめて」にて)などがある。

関連書籍に、「八木保太郎 – 人とシナリオ」「八木保太郎・山形雄策集」「ひろしま – シナリオ」など。

東京都港区にある病院にて死去。死因は、黒色腫であった。84歳。

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