司馬遼太郎

(しばりょうたろう)
作家・小説家・評論家。なお、正確な名前表記では、「遼」の文字は点が2つあるしんにょうである。

株式会社産業経済新聞社に記者として勤務中、長編小説である「梟の城」(ふくろうのしろ)を発表、直木賞を受賞したことで、一気にスターダムにのし上がった。歴史小説から、随筆・評論・紀行文まで、作品の対象範囲は幅広い。文化勲章受章者。文化功労者。日本芸術院会員。大阪府東大阪市名誉市民。初の名誉高知県人(高知県の名誉県人)。財団法人大阪国際児童文学館理事長などの要職も歴任した。

その功績はあまりにも有名のため言うに及ばず、2001年11月には、大阪府東大阪市の一角に「司馬遼󠄁太郎記念館」が開館されるに至った。

受賞歴は、上述した直木賞(直木三十五賞)を始め、日本芸術院賞・恩賜賞、毎日芸術賞、日本文学大賞、読売文学賞、朝日賞、菊池寛賞、吉川英治文学賞、大佛次郎賞、井原西鶴賞など、枚挙に暇がない。

主な小説作品(ほんの一部である。その数は膨大であり、とてもではないが全てを書き切れるものではないため)には、上述した「梟の城」を始め、「戦雲の夢」「竜馬がゆく」「燃えよ剣」「国盗り物語」「城をとる話」「最後の将軍」「宮本武蔵」「世に棲む日日」「翔ぶが如く」「ひとびとの跫音」「箱根の坂」「花神」「白い歓喜天」「最後の伊賀者」「おお、大砲」「果心居士の幻術」「花房助兵衛」「真説宮本武蔵」「幕末」「豊臣家の人々」「酔って候」「人斬り以蔵」「木曜島の夜会」「アームストロング砲」「侍はこわい」「ペルシャの幻術師」「豚と薔薇」「魔女の時間」「ある不倫」「鬼灯」「花の館」などがある。

また、随筆・評論・紀行文など他のジャンル作品には、「名言随筆サラリーマン哲学」「手掘り日本史」「日本人と日本文化」「歴史と視点」「土地と日本人」「微光のなかの宇宙」「日本人の内と外」「二十一世紀に生きる君たちへ」「日本語と日本人」「「明治」という国家」「人間について」「この国のかたち」「風塵抄」「世界のなかの日本」「歴史と風土」「九つの問答」「国家・宗教・日本人」「もうひとつの「風塵抄」」「人間というもの」「アジアへの手紙」「司馬遼󠄁太郎からの手紙」「街道をゆく」「アメリカ素描」「草原の記」「歴史を紀行する」「幕末維新のこと/明治国家のこと」「歴史のなかの邂逅」などがある。こちらも、全作品と比して、氷山の一角にも満たないことを付け加えておく。

さらに、その作品の多くが映画やテレビドラマとして映像化されている。その一部として、「恋をするより得をしろ」「忍者秘帖 梟の城」「風の武士」「燃えよ剣」「梟の城」「御法度」「関ヶ原」「峠 最後のサムライ」「新選組血風録」「竜馬がゆく」「国盗り物語」「風神の門」「徳川慶喜」「功名が辻」「坂の上の雲」などがある。特に、彼が残した歴史小説の数々が、NHKの大河ドラマとして繰り返し映像化されていることは、誰もが知っている事実である。

彼の作品やその人生などをテーマとした関連書籍も多数あり、「司馬遼󠄁太郎全作品大事典」「日本の未来へ 司馬遼󠄁太郎との対話」「司馬遼󠄁太郎を読む」「司馬さん、みつけました。」「司馬遼󠄁太郎という人」「司馬さんは夢の中」「総特集司馬遼󠄁太郎の「戦国時代」」「司馬遼󠄁太郎の世紀」「司馬遼󠄁太郎 日本を知る」「司馬遼󠄁太郎が書いたこと、書けなかったこと」「司馬遼󠄁太郎がみた世界史」「司馬遼󠄁太郎で読み解く幕末・維新」「司馬遼󠄁太郎が愛した「風景」」「司馬遼󠄁太郎「坂の上の雲」の視点」など、あまりに多すぎて、全てを書こうとしようものなら、いくらページがあっても足りないくらいである。

晩年は、腰の痛みを訴えるようになり、坐骨神経痛であると思われていたものの、実は腹部大動脈瘤が原因であることが後に判明する。結局はそれが死因となり、病院にて亡くなった。腹部大動脈瘤破裂のため。72歳。

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