三波春夫

(みなみはるお)
歌手(演歌)・元浪曲師・俳優・タレント。俳優・タレント・歌手である三波豊和、及び元タレントである三波美夕紀(八島美夕紀)の父。浪曲師時代の芸名は、「南篠文若」(なんじょうふみわか)。紫綬褒章・勲四等旭日受章者。

昭和の歌謡界を代表する大御所演歌歌手の1人。多くの歌手・ミュージシャン・アーティストから「先生」と呼ばれリスペクトを集め、今なお影響を持ち続ける国民的存在。日本における伝統芸能にも精通しており、それを活かしたスケール大きな芸能活動を展開していたことでも知られている。代表曲は、「世界の国からこんにちは」「東京五輪音頭」「桃太郎侍の歌」「チャンチキおけさ」「雪の渡り鳥」「元禄名槍譜 俵星玄蕃」など多数。

定番の挨拶である「三波春夫でございます」の他、ステージ上でのMC中に生まれた「お客様は神様です」の言葉はあまりにも有名。芸能に対する当人の真摯な姿勢を示す象徴として、後世まで語り継がれるであろう名台詞である。

NHKの年末恒例歌番組「紅白歌合戦」には通算31回の出場(うち1958年から1986年までは29回連続出場)を誇る。また、同番組史上、最後の大正生まれ歌手としても名を残している。

前述した歌曲以外の発表曲には、「ギッチョン舟唄」「夕やけ親子」「おさななじみの唄」「赤城哀歌」「忠治流転笠」「豊年盆唄」「宗吾吹雪」「森の石松」「佐渡の恋唄」「天保流転笠」「高杉晋作」「恋さま道中」「水戸黄門旅日記」「北上船唄」「春がすみ遠山桜」「霧の渡り鳥」「敦子、どこにいるの」「浪曲船頭」「日本の祈り」「びわ湖旅情」「花のびわ湖」「世界平和音頭」「ご存知右門ここに居る」「しあわせを運ぶ道」「スポーツ行進曲」「心」「男の浪花節」「おじいさんおばあちゃん」「赤い椿と三度笠」「ニッコリ音頭」「ルパン音頭」「母を想えば」「大東京音頭」「さくら日本花の旅」「わたり鳥」「花の音頭」「男の二十年」「酒ありて」「限りなき夢」「日本列島渡り酒」「頑固親父の浪花節」「かかし祭り音頭」「ジャン・ナイト・じゃん」「恐竜音頭」「平家物語」「世直しロックン・ロール」「しんちゃん音頭 ~オラといっしょにおどろうよ~」「しんちゃんマーチ ~オラといっしょにあるこうよ!~」「あゝ忠臣蔵」「富士山」「イズノスケ音頭」などがある。なお、ここに掲載したものはほんの一部であり、とてもではないが全てを書き切れるものではない。

また、俳優として「桃太郎侍」といったテレビドラマや、「チャンチキおけさ」「口笛を吹く渡り鳥」「波止場がらす」「大利根無情」「母しぐれ」「あんみつ姫の武者修業」「東京五輪音頭」「刑事物語 くろしおの詩」「雲右衛門とその妻」といった映画にも出演した他、「世界おもしろネットワーク」「ワールドクイズ ザ・びっくり地球人!」「スター感動バラエティ」「クイズ!年の差なんて」といったバラエティ番組・クイズ番組などでも活躍した。

著書に、「すべてを我が師として」「三波春夫でございます」「聖徳太子憲法は生きている」「歌藝の天地―歌謡曲の源流を辿る」「熱血!日本偉人伝」「真髄三波忠臣蔵」などがある。

主な受賞歴に、芸術祭優秀賞(大衆芸能部門)、日本レコード大賞(企画賞)、新潟県民栄誉賞などがある。また、新潟県三島郡越路町(現・長岡市)名誉町民(現・名誉市民)でもある。

病院にて死去。死因は、前立腺癌であった。77歳。1994年に前立腺癌が告知されてからの闘病生活は実に7年にも及び、その間、体調を崩すことがありながらも、精力的に歌手活動を続けていた。

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