内山田洋

(うちやまだひろし)
歌手・ミュージシャン。1967年に長崎県にて、小林正樹・森本繁・宮本悦朗・岩城茂美らと結成した「内山田洋とクール・ファイブ」を率いていたことで特に有名。

「内山田洋とクール・ファイブ」は結成後、1968年に現在も高い人気を誇る歌手・タレントの前川清をメインヴォーカルに迎え入れ、1969年に「長崎は今日も雨だった」でメジャーデビューを果たす。当作品は大ヒットとなり、一躍人気グループとなった。なお、前川清は1987年にクール・ファイブを脱退するが、後述の通り、内山田氏の死後に再びグループとして活動を開始している。

クール・ファイブとしてのそのほかの発表シングルには、「逢わずに愛して」「噂の女」「中の島ブルース」「東京砂漠」「愛の旅路を」「女の意地」「この愛に生きて」「そして、神戸」「 イエスタデイ・ワンス・モア」「心がわり」「昔があるから」「新潟の女」「夏の花よ」「恋さぐり夢さぐり」「夢待ち人」「東京白夜」「Lonely Boy」「ふたたび長崎」「都会の隅で」などがある。

アルバムでは、「夜のバラード」「長崎詩情」「影を慕いて」「赤と黒のブルース」「心がわり」「海鳴り」「雨のしのび逢い」「裏町人生」「君恋し」「別れの一本杉」「熱唱」「不滅の演歌」「俺たちの歳月」「魅惑・シェイプアップ」「愛・トリステ」「港の忘れ草」などがある。

日本放送協会(NHK)が年末に開催する大規模な歌イベント「紅白歌合戦」には、実に11度(1969~1970年、1974~1982年)の出場歴を誇る。そのほか、ゲスト出演も多数。

神奈川県横浜市にある病院にて死去。死因は、肺癌であった。70歳。なお、当人の死後も、クール・ファイブは「前川清&クール・ファイブ」として活動を継続している。

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