ラン・ラン・ショウ

映画製作者。香港映画界の重鎮として有名。「ランラン・ショウ」「シュウ・ヤトフゥ」、さらには漢字表記にて「邵逸夫」と表記されることもある。元歌手・プロデューサーである方逸華の夫。

1957年、兄が創立した映画会社「南洋影片公司」(創立当時の社名は「天一影片公司」)の社長に就任し、社名を「邵氏父子公司」と改めた。さらに1958年には、映画製作会社「邵氏兄弟公司」(ショウ・ブラザーズ)を設立し、香港映画の発展における一翼を担う。同社の巨大スタジオを始めとする数々の設備は「東洋のハリウッド」とも呼ばれ、1,000本以上の映画を製作したと言われている。その過程においては、現在も人気ジャンルとして幅広い層からの支持を得る「カンフー映画」を確立した。

第二次世界大戦後の香港映画における黄金時代の先導者として、「香港のメディア王」と称された。また、1967年には、香港で最大の規模を誇る民放テレビ局「無綫電視」(TVB、Television Broadcast Limited)を創立するなど、テレビが台頭してきた時代のメディアリーダーとしても国民からのリスペクトを受けている。

1977年には、イギリスのエリザベス女王(エリザベス2世)からサーの称号を授与され、「サー・ランラン・ショウ」とも呼ばれるようになった。

主な受賞歴に、香港アカデミー賞とも称される香港電影金像奨(終身成就獎)、中華人民共和国・中華慈善奨終身栄誉賞など。

自宅にて死去。死因は、老衰であった。106歳。

タイトルとURLをコピーしました