貴ノ浪貞博

(たかのなみさだひろ)
元大相撲力士。音羽山親方(おとわやまおやかた)。元大関。所属部屋は、藤島部屋~二子山部屋~貴乃花部屋。デビュー当時は、「浪岡」の四股名で活動した。

青森県東部にある三沢市出身。三沢市立第二中学校を卒業後、藤島部屋からの勧誘を受け、高校進学を蹴って角界入り。1987年の3月場所で初土俵を踏む。1991年3月場所にて十両昇進。同年9月場所で、のちに横綱となる武蔵丸光洋とともに新入幕。1993年5月場所より小結、同年7月場所にて関脇と、順調に昇進を重ねた。

1994年1月場所にて13勝2敗の好成績を残し、敢闘賞を獲得した上で大関に昇進。以降も順調に勝ち星を重ねたが、1999年に足を負傷してからは苦戦が続き、2001年には1993年以来の平幕に陥落。32歳となった2003年ごろには体力の衰えが見え始め、2004年5月場所を最後に引退となった。

幕内での通算成績は、76場所に在位し、647勝473敗、8休。勝率は、5割7分8厘だった。大関としての戦績は、在位37場所で、353勝194敗、8休。勝率は、6割4分5厘だった。幕内での優勝は2回、三賞は3回(いずれも敢闘賞)、金星は2個(いずれも武蔵丸から)。

死因は、急性心不全であった。43歳。2006年には、肺炎や敗血症などを併発して生死を彷徨ったものの、無事に復帰を果たしている。その後、2014年に胃癌との診断を受け、休養生活に入っていた。

(以下、管理者コメント)
元大関貴ノ浪が43歳という若さで亡くなりました。
横綱貴乃花・若乃花と同時期に活躍し、武蔵丸とも良きライバル関係にあるなど、非常に高い人気を博した力士でした。
マスコミへのユーモアな受け答えから、その素晴らしい人柄も容易に想像が出来ました。

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