高橋国光

(たかはしくにみつ)
元レーシングドライバー・評論家。レーシングチーム「チーム国光」監督。「高橋國光」と表記されることもある。旭日小綬章受章者。

同じく元レーシングドライバーで、「ドリキン」(=ドリフトキング)と呼ばれるほどドリフト走行に熟達した土屋圭市からも師と仰がれるほど、華麗なドリフトを始めとする卓越した走行テクニックを持つ。

1977年、F1カテゴリーの日本GPに出場しているほか、全日本F2000選手権、全日本F3000選手権、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権、全日本ツーリングカー選手権、全日本GT選手権、世界スポーツプロトタイプカー選手権、ル・マン24時間レースなど、オートバイを含め、二輪・四輪のレースに数多く参戦。その数は通算489におよび、うち71勝をあげるなど、数々の輝かしい実績を残した。

1999年、59歳にして現役レーサーを引退。以後、「チーム国光」の監督のほか、FIA公認の国際レースカテゴリー「SUPER GT」を運営する「GTアソシエイション」会長や、日本国内で販売されている乗用車の中から最も優秀なものを選定する「日本カー・オブ・ザ・イヤー」選考委員などの要職を務めた。また、これは20代の頃の話であるが、1960年代前半に開園したモータースポーツをテーマとした遊園地「多摩テック」において、名誉職扱いとなる初代所長を務めていたことはあまり知られていない。

2020年には、日本におけるモータースポーツの振興と発展に対し、長きに渡って貢献した功績が高く評価され、文部科学大臣より「スポーツ功労者顕彰」を受章。

死因は、悪性リンパ腫であった。82歳。1年半ほど前に同病に罹患していることが発覚、以後、監督としてレースの現場に赴きながら、裏では闘病生活を続けていたという。

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