高峰秀子

(たかみねひでこ)
女優・歌手・随筆家(エッセイスト)。昭和の日本映画界を代表する女優の1人として歴史に名を残した人物。映画監督である松山善三の妻。紺綬褒章受章者。

戦前より子役として活躍し、1930年代の名子役として世界的に著名なシャーリー・テンプルを想起させるほどの名演技で一世を風靡した。その後、戦後までの長きに渡るそのキャリアは、実に半世紀以上に及ぶ。

女優業は1979年に引退したものの、以後は随筆家(エッセイスト)として数々の作品を残した。さらに、画家として活動していたことでも知られ、1950年に日本橋の三越にて開催された絵画展に作品「緑衣」を出品した経歴などがある。また、そのイメージに反し、かなりのヘビースモーカーでもあった。22歳のときに映画出演のためにタバコを吸う練習をしたのが最初であるとされている。以後、欠かせない嗜好品となった。

出演した代表作品には、壺井栄の同名小説を原作とし、木下惠介が脚本・監督を手掛けた1954年の映画「二十四の瞳」や、同じく木下惠介が脚本・監督を務め、原作も手掛けた1957年の松竹映画「喜びも悲しみも幾歳月」などがある。

その他の出演映画は、「母」「父」「麗人」「美わしき愛」「愛よ人類と共にあれ」「東京の合唱」「女はいつの世にも」「情熱」「七つの海」「天国に結ぶ恋」「不如帰」「一太郎やあい」「頬を寄すれば」「与太者と海水浴」「その夜の女」「永久の愛」「花籠の歌」「江戸っ子健ちゃん」「白薔薇は咲けど」「綴方教室」「チョコレートと兵隊」「ロッパの頬白先生」「花つみ日記」「新篇丹下左膳」「秀子の應援團長」「エノケンの孫悟空」「そよ風父と共に」「昨日消えた男」「阿波の踊子」「武蔵坊弁慶」「秀子の車掌さん」「阿片戦争」「兵六夢物語」「ハナ子さん」「若き日の歓び」「北の三人」「勝利の日まで」「或る夜の殿様」「幸福への招待」「三百六十五夜」「グッド・バイ」「銀座カンカン娘」「宗方姉妹」「カルメン故郷に帰る」「我が家は楽し」「カルメン純情す」「煙突の見える場所」「明日はどっちだ」「女の園」「この広い空のどこかに」「妻の心」「あらくれ」「くちづけ」「無法松の一生」「張込み」「名もなく貧しく美しく」「人間の条件」「妻として女として」「永遠の人」「ぶらりぶらぶら物語」「二人で歩いた幾春秋」「われ一粒の麦なれど」「乱れる」「ひき逃げ」「父と子」「華岡青洲の妻」「恍惚の人」「鬼の棲む館」「スリランカの愛と別れ」「泣きながら笑う日」「衝動殺人・息子よ」など、多数。

また、映画に比べて出演回数は少ないものの、TBS系列で放送されていた「東芝日曜劇場」を中心にテレビドラマでも活躍し、巧みな演技でお茶の間の人気を博した。その作品には、「君は今どこにいるの」「あさきゆめみし」「おしくらまんじゅう」「落日燃ゆ」「微笑」「生きるなり」などがある。

歌手として発表した楽曲には、「煙草屋の娘」「歌え山彦」「カルメン故郷に帰る」「銀座カンカン娘」などがある。

その他、田辺製薬株式会社・キッコーマン株式会社・味の素株式会社など著名企業のテレビCMや、「小川宏ショー」「NHKビッグショー」「人に歴史あり」といったトーク番組・ワイドショー・情報番組などでも活躍した。

著書に、「巴里ひとりある記」「まいまいつぶろ」「わたしの渡世日記」「私のインタヴュー」「いいもの見つけた」「つづりかた巴里」「いっぴきの虫」「台所のオーケストラ」「人情話松太郎」「忍ばずの女」「にんげんのおへそ」「旅日記 – ヨーロッパ二人三脚」「にんげん住所録」などがある。

夫である松山善三との共著「旅は道連れ」シリーズ(エッセイ)も残しており、「旅は道連れガンダーラ」「旅は道連れアロハ・オエ」「旅は道づれ雪月花」などがある。

受賞歴に、日本アカデミー賞(会長功労賞、会長特別賞、優秀主演女優賞)、毎日映画コンクール女優主演賞・特別賞、キネマ旬報ベスト・テン女優賞、ブルーリボン賞(主演女優賞)、サンフランシスコ国際映画祭主演女優賞、東南アジア映画祭最優秀女優賞、ロカルノ国際映画祭最優秀女優賞、日本エッセイスト・クラブ賞、日本映画批評家大賞(ゴールデン・グローリー賞)、ゴールデングロス賞(特別功労賞)、おおさかシネマフェスティバル特別賞など、枚挙に暇がない。

東京都渋谷区にある病院にて死去。死因は、肺癌であった。86歳。

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