野村万之介

(のむらまんのすけ)
狂言師・能楽師。狂言方和泉流能楽師。六世野村万蔵の息子。七世野村万蔵(野村萬)、及び観世流能楽師である野村四郎、さらには狂言方和泉流野村万蔵家の野村万作の弟。重要無形文化財である「能楽」の技能保持者として総合的に認定された能楽師で組織される「社団法人日本能楽会」会員。

1944年に舞台「鉢叩」にてデビュー。1972年には、狂言方大蔵流能楽師で、善竹圭五郎の息子でもある善竹十郎らと共に、「新の会」を結成。同会は、1985年まで活動を継続した。また、1968年からは、兄である野村万作の後継者として、早稲田大学や東京女子大学、東京大学などの狂言サークルにて指導にあたり、後進の育成にも尽力していた。

そのほか、「万作の会」における主要メンバーとして、国内・海外を問わず活動する一方、1990年からは「万之介狂言の会」の主催者となって活躍した。既存の型に囚われない自由奔放、かつゆったりとした上品な芸風で、多くのファンを魅了し、人々の心に焼き付いている。

主な受賞歴に、芸術選奨文部大臣新人賞などがある。

東京都港区にある病院にて死去。死因は、肺炎であった。71歳。

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