平良啓子

(たいらけいこ)
活動家。第二次世界大戦の太平洋戦争において、アメリカ潜水艦による攻撃で沈没を余儀なくされた学童疎開船「対馬丸」の生存者として、長きに渡ってその体験を語る「語り部活動」を行ってきた。

沖縄にアメリカ軍が上陸する前に、家族と共に「対馬丸」によって那覇港を出発したものの、アメリカ潜水艦による魚雷攻撃によって沈没。乗っていた1,800人のうち、1,400人以上が犠牲になるという大惨事の中、筏(いかだ)によって6日間漂流したのち、無人島にて漁師に助けられるという凄まじい体験をしている。筏には10名が乗ったが、最終的に4名しか生き残れなかったという。

戦争終結後は、小学校にて教諭を務めつつ、戦争体験の語り部として戦争の悲惨さを伝えながら、国への外交政策について意見するなどの活動も展開してきた。

死因は、大動脈解離であった。88歳。

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