山本公士

(やまもとこうし)
元プロ野球選手(外野手)。同じくプロ野球選手で、阪神タイガースで捕手として活躍した山本哲也の弟。

高校時代は熊本工業高校の野球部に所属、県予選は勝ち抜いたものの中九州大会で敗れ、甲子園出場は果たせなかった。卒業後、長崎県にある三菱重工業の造船所である三菱重工業長崎造船所を経て、1963年に阪急ブレーブス(現・オリックスブルーウェーブ)に入団。好打・俊足の外野手として1966年には32盗塁を記録し、見事パシフィック・リーグの盗塁王に輝いた。

1970年の現役引退までプロ通算645試合に出場、366打席で69安打、本塁打1本、打率2割1分2厘、盗塁数103。その後は阪急ブレーブスのスカウトとして活躍、スイッチヒッターとして史上最高の選手と呼ばれた松永浩美などの入団に一役買った。

病院にて死去。死因は、肺癌であった。81歳。

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