岩井忠熊

(いわいただくま)
歴史学者・近代史学者。立命館大学教授・副学長を経て、名誉教授を務める。大日本帝国陸軍少佐であった岩井勘六の息子。

京都府京都市に本拠を構える京都帝国大学(現・京都大学)の在学中、モーターボートを改造した特攻艇「震洋」の特攻隊員として学徒出陣(第二次世界大戦終盤の兵力不足を補うために動員された学生による出征)。しかしながら、沖縄県・八重山列島の石垣島へ向かっている最中にアメリカ軍の魚雷攻撃を受け、輸送船が沈没。3時間漂流したのち、無事救助されるという壮絶な経験を持つ。なお、この体験については晩年になって明かされた他、「学徒出陣 – わだつみ世代の伝言」といった著書としてまとめられている。

その他の著書(共著・編著を含む)に、「天皇制と日本文化論」「明治国家主義思想史研究」「明治天皇」「近代天皇制のイデオロギー」「大陸侵略は避け難い道だったのか」「戦争をはさんだ年輪」「西園寺公望」「陸軍・秘密情報機関の男」「天皇制と代替り」「自殺兵器となった学徒兵兄弟の証言」「天皇制国家の統合と支配」「天皇代替り儀式の歴史的展開」「国際貢献論とアメリカ新戦略」「まちと暮らしの京都史」などがある。

滋賀県大津市にある病院にて死去。死因は、急性心不全であった。101歳。

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