保利耕輔

(ほりこうすけ)
政治家・元衆議院議員。文部大臣や自治大臣、国家公安委員会委員長など務めたことで知られている。所属政党は、自民党。同じく政治家・元衆議院議員で、内閣官房長官や農林水産大臣、衆議院議長などを歴任した保利茂の息子。旭日大綬章受章者。

慶應義塾大学を卒業後、ベアリングメーカーである日本精工株式会社に入社。父親である保利茂を受け継ぐ形で、1979年の衆議院議員総選挙に自由民主党公認で佐賀全県区より出馬し、初当選を果たす。以後、衆議院議員を12期務めた。その間、上述した文部大臣・自治大臣・国家公安委員会委員長を始め、衆議院憲法審査会長や、自由民主党における憲法改正推進本部長・国会対策委員長・政務調査会長などの要職を歴任。

その他、日本熊森協会顧問、天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟常任幹事、花粉症等アレルギー症対策議員連盟会長、全国温泉振興議員連盟会長、全国山村振興議員連盟顧問、自民党たばこ議員連盟顧問なども務めた。

2014年に行われた衆議院議員総選挙には出馬せず、35年に及ぶ国会議員生活から引退。翌2015年には、春の叙勲において旭日大綬章を受章。

著書に、「わが人生を語る・保利耕輔回顧録」がある。

神奈川県川崎市にある病院にて死去。死因は、誤嚥性肺炎であった。89歳。

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