田中恭一

(たなかきょういち)
実業家・企業家。日本コンタクトレンズ協会名誉会長。愛知県名古屋市に本社を構える国内最大手の総合コンタクトレンズメーカー・株式会社メニコンの創業者として知られている。藍綬褒章受章者。

愛知県葉栗郡(現在の一宮市)に生まれ、1950年に勤務先であった名古屋市の眼鏡店で、客として来店したアメリカ人女性がコンタクトレンズを持っていたことでその存在を知る。以後、独学で研究を続け、翌1951年には、黒目だけを覆うハードコンタクトレンズの原型となる「角膜コンタクトレンズ」の開発に成功。日本で初めての快挙だった。

その後、1952年に日本コンタクトレンズ研究所を創設、さらに1957年に株式会社メニコンの前身となる日本コンタクトレンズ株式会社を設立し、社長に就任。「東洋コンタクトレンズ」→「メニコン」といった社名の変遷を経て、2000年に社長を退いた。以後は、会長として、後進の育成などに尽力。そのほか、日本コンタクトレンズ協会会長など、業界におけるさまざまな団体の要職も歴任した。

著書に、「無から有を創造する楽しさ」など。

死因は、老衰であった。92歳。

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