清川栄治

(きよかわえいじ)
元プロ野球選手(投手)・野球指導者・野球解説者。広島東洋カープや近鉄バファローズで中継ぎ投手や救援投手として活躍したことで知られている。

1961年、京都府京都市に生まれ、京都商業高校(現在の京都先端科学大学附属高等学校)時代に全国高等学校野球選手権大会(甲子園大会)に投手として出場経験あり。卒業後は、大阪府東大阪市にある大阪商業大学へ進学し、硬式野球部にて1年生時より即戦力投手として活躍。関西六大学野球リーグにおいては通算49試合に登板し24勝を挙げた。

大学卒業後、1984年にドラフト外で広島東洋カープに入団。貴重なサウスポーのサイドスロー投手として、主にワンポイントリリーフで活躍した。1991年のシーズン途中に近鉄バファローズへ移籍。1998年には広島東洋カープに復帰したものの、その年限りで現役を引退。1999年に広島東洋カープの二軍投手コーチ、2000年には一軍投手コーチを務めるなど、その後は指導者として活躍。オリックス・バファローズや埼玉西武ライオンズ、社会人野球の日立製作所でも投手コーチを務めた。

プロ通算成績は、稼働15年(1984~1998年)で438試合に全て救援投手として登板し、13勝10敗12セーブ、奪三振375、防御率2.94だった。

東京都内にある病院にて死去。死因は、悪性腫瘍であった。62歳。かねてより闘病生活を送っていたという。死去の事実は、葬儀などが近親者によって済まされたあと、亡くなって8日ほどが経過してから公表された。

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