セサル・ルイス・メノッティ

サッカー指導者・元サッカー選手(アルゼンチン)。現役時代のポジションはFW(フォワード)だった。地元アルゼンチンで開催された1978年のFIFAワールドカップ(W杯)にて同国の代表監督を務め、初優勝に導いたことで特に知られている。

1938年、アルゼンチン北部のサンタフェ州・ロサリオに生まれ、22歳となる1960年よりプロサッカー選手としてのキャリアを開始。同国のクラブチームであるロサリオ・セントラル、ラシン・クルブ、ボカ・ジュニアーズなどで活躍したほか、アメリカのニューヨーク・ジェネラル、ブラジルのサントスFCやCAジュベントスでもプレイした。1962年から1963年にかけてはアルゼンチン代表にも選ばれ、6試合に出場し1得点をあげている。

その後、1969年シーズンを最後に現役を引退し、1970年より32歳という若さで監督としてのキャリアをスタートさせている。クラブチームでは、ニューウェルズ、ウラカン、ボカ・ジュニアーズ、インデペンディエンテ、ロサリオ・セントラルなどを率いたほか、スペインのFCバルセロナや、ウルグアイのクルブ・アトレティコ・ペニャロール、イタリアのウニオーネ・カルチョ・サンプドリアなどでも指揮を執っている。代表監督としては、上述の通りアルゼンチン代表を率いて1978年のFIFAワールドカップを制したのを始め、1979年に日本で開催された世界ユース選手権(現在のU-20ワールドカップ)でも、ディエゴ・マラドーナを擁するアルゼンチン代表を優勝に導いている。また、1982年のFIFAワールドカップでもアルゼンチン代表を指揮したほか、1991年から1992年にかけてはメキシコ代表チームでも監督を務めた。

アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにて死去。死因などの詳細は明らかになっていない。85歳。死去の事実は、アルゼンチン・サッカー協会により発表された。

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