武者小路実篤

(むしゃのこうじさねあつ)
作家・小説家・劇作家・詩人・画家。公家・歌人であった勘解由小路資生の孫。大日本帝国憲法の設置にも関わったという裁判官である武者小路実世の息子。外交官であった武者小路公共の弟。

近代日本の貴族階級である華族として、貴族院(大日本帝国憲法の下において帝国議会を構成した上院)における勅選議員でもあった。文芸・演劇・美術などの分野において卓越した功績を残した芸術家を顕彰するために設置された文化庁の特別機関「日本芸術院」会員。文化勲章受章者。文化功労者。東京都名誉都民。名前の読み方は、実際には本人により「むしゃこうじ(さねあつ)」に変更されたが、一般的にはその後も「むしゃのこうじ(さねあつ)」で通っていた。仲間内では「むしゃ」の愛称で親しまれた。

東京府東京市(現在の東京都千代田区)に生まれ、学習院中等学科に在学中、志賀直哉と知り合う。東京帝国大学(現在の東京大学)を中退後、作品集「荒野」の自費出版や文学雑誌「白樺」の創刊を経て、志賀直哉も住んでいたという千葉県我孫子市に居を構えていたこともあった。その後、新聞へ小説を連載するなどしていたが、1923年、「白樺」が終刊となり、淡彩画やスケッチ、油絵などにも手を出し始める。個展を開くなど、この分野でも才能を発揮する一方で、変わらず伝記小説などの執筆活動も続けていた。

代表的な作品には、「荒野」「お目出たき人」「わしも知らない」「罪なき罪」「幸福者」「人間万歳」「友情」「不幸な男」「棘まで美し」「母と子」「愛慾」「大東亜戦争私観」「馬鹿一」「真理先生」など、多数。また、「武者小路実篤全集」「武者小路実篤作品集」「武者小路実篤選集」など、著作集は多くの出版社から発売されている。

東京都狛江市にある病院にて死去。死因は、尿毒症であった。90歳。

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