村田兆治

(むらたちょうじ)
元プロ野球選手(投手)・コーチ・解説者・評論家。足腰を軸にしたダイナミックな投球フォームである「マサカリ投法」で有名。

現役時代はロッテオリオンズ(入団時は東京オリオンズ)にて活躍、主に速球とフォークボールを武器に、数々のタイトルを獲得した。

また、ひじの故障から、トミー・ジョン手術によって左腕の腱を右ひじに移植、2年間に及ぶリハビリの末、1985年には開幕から無傷の11連勝を上げるなど、年間17勝の活躍によってカムバック賞を受賞した。また、中6日で日曜日毎に先発していたことから「サンデー兆治」と呼ばれ親しまれた。

プロ22年間の通算成績は、215勝・177敗、防御率3.24。獲得したタイトルや栄誉には、上述したカムバック賞の他、最優秀防御率・最多勝利・最多奪三振・最多セーブ・ベストナイン・月間MVP・オールスターゲームMVP・日本シリーズ最優秀投手賞・ベスト・ファーザー イエローリボン賞・都民文化栄誉賞など。一方で、通算暴投(ワイルドピッチ)は148回を数え、断トツの日本記録となっていることはあまり知られていない。

引退後は、福岡ダイエーホークス投手コーチ、NHK解説者、日刊スポーツ評論家などを務めた。また、度々始球式にも登場し、60歳を過ぎてもなお130kmを超える球速を記録していた。

2005年には、さまざまな活躍によって数多くの実績を残し、野球の発展に寄与した人物の功績を称える殿堂である「野球殿堂」入りも果たした。

著書に、「右腕の傷あと」「先発完投わが人生」「還暦力 – 60歳でストレート140キロを投げる秘密」「哀愁のストレート もっと速い球を!」など。

死因は、火災による一酸化炭素中毒であった。72歳。自宅にて火災が発生し、駆け付けた救急隊が2階室内において意識不明の状態でいるところを発見。救急搬送されたものの、一酸化炭素中毒によって亡くなったことが確認された。目立った外傷ややけどはなく、遺書なども見つかっていない上、他人が侵入した痕跡もないという。厳しいプロ野球界で数々の栄光を掴んだ男の突然の訃報に、プロ野球ファンのみならず日本中の国民が驚きと悲しみに暮れた。

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