元プロ野球選手(アメリカ)。日本球界で内野手として活躍し、盗塁王を獲得するなどの足の速さから「黒いハヤブサ」「黒い稲妻」などと呼ばれて人気を博した。
アメリカ合衆国東部ウェストバージニア州カナー郡セントオールバンズに生まれ、1953年、23歳のときに来日して阪急ブレーブス(現在のオリックス・バファローズ)に入団。ショートのポジションで活躍し、開幕から20試合連続ヒットを放つなど存在感を示す。初年度は、オールスターゲームにも選出されたほか、61盗塁を記録して盗塁王にも輝いた。また、1シーズンで16本の三塁打を放ち、この数字は長きに渡ってパシフィック・リーグ記録となっている。
1955年、アメリカに戻りクリーブランド・インディアンス(現在のクリーブランド・ガーディアンズ)と契約を交わすも、1962年、再び日本球界に復帰。以前と同様に阪急ブレーブスでプレイしたが、盗塁数は8と平凡な記録だった上、打率も2割5分2厘と高い数字を残せず、同年のシーズン終了後に解雇。
日本球界(阪急ブレーブス)での通算成績は、稼働3年間(1953年、1954年、1962年)で330試合に出場、1,267打数383安打、ホームラン31本、盗塁114、打率3割0分2厘。MLB(アメリカ・メジャーリーグベースボール)での通算成績は、稼働2年(1957年、1958年)で103試合に出場、253打数64安打、ホームラン2本、盗塁5、打率2割5分3厘。
主な獲得タイトルには、盗塁王(1953年)、首位打者(1954年)、最多安打(1954年)などがある。そのほか、ベストナイン1回(1954年)、オールスターゲーム選出2度(1953年、1954年)、シーズン最多三塁打1回(1954年)。
アメリカ合衆国中西部ミシガン州の州都ランシングにて死去。死因などの詳細は明確になっていない。47歳。

