江田孝

(えだたかし)
元プロ野球選手(投手)・監督・コーチ。かつては、「江田貢一」(えだこういち)の登録名で活動していた。

山口県岩国市に生まれ、兵庫県伊丹市にある旧制伊丹中学校(現在の兵庫県立伊丹高等学校)を卒業後、阪急軍(現在のオリックス・バファローズ)に入団。名古屋軍(現在の中日ドラゴンズ)戦でノーヒットノーランを記録するなどの活躍を見せた。1943年に第二次世界大戦に徴兵されるが、戦後となる1946年にゴールドスター(のちの大映ユニオンズ)にて球界復帰。その後、大陽ロビンス(のちの松竹ロビンス )、大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)と移籍し、1957年シーズンを最後に現役を引退した。

プロ通算成績は、稼働15年(1941~1943年、1946年~1957年)で370試合に登板、97勝147敗、奪三振447、勝率3割9分8厘、防御率3.61だった。

病院にて死去。死因は、脳梗塞だった。54歳。クラウンライターライオンズ (現在の埼玉西武ライオンズ)にてコーチをしていた際、キャンプ中に脳卒中の発作により倒れて病院に救急搬送されたものの、そのまま意識が回復することなく亡くなってしまったという。

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