永六輔

(えいろくすけ)
タレント・放送作家・作詞家。「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」「こんにちは赤ちゃん」などの作詞で知られる他、数々の人気番組の脚本や、ラジオのパーソナリティなどを手掛けたことで有名。また、テレビを中心にメディアにも多数出演し、時として毒舌と評される歯に衣着せぬ語り口と饒舌なトークで人気を博した。縦に長い顔と角刈りに整えた頭髪をトレードマークとしている。元フジテレビアナウンサーでエッセイスト(随筆家)でもある永麻理、および映画エッセイストである永千絵の父。都民文化栄誉章受章者。

作詞を手掛けた楽曲は、坂本九が歌う上述の「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」や、「こんにちは赤ちゃん」のほか、「夢であいましょう」「黒い花びら」「いつもの小道で」「ウェディングドレス」「帰ろかな」「一人ぼっちの二人」「ルックチョコレートの歌(株式会社不二家の商品CMソング)」「いい湯だな」「筑波山麓合唱団」「女ひとり」「二人の銀座」「遠くへ行きたい」「故郷のように」「あの人の・・・」「近鉄の歌」「若い季節」「レットキス」「生きているということは」「明日天気になあれ」「ともだち」「生きるものの歌」など、多数。

出演したテレビ番組は、「夢であいましょう」「午後のおしゃべり」「永六輔の芸能ジャーナル」「けものみち」「光子の窓」「スタジオパークからこんにちは」「わんぱく問答」「今夜は最高!」「視点・論点」「筑紫哲也・NEWS23」「小川宏ショー」「徹子の部屋」「題名のない音楽会」「桂小金治アフタヌーンショー」「ウィークエンドショー」「うたの旅人」「遠くへ行きたい」「痛快!おんな組」など、多数。

また、ラジオ番組には、「ラジオ深夜便」「永六輔の誰かとどこかで」「六輔七転八倒」「パックインミュージック」「永六輔の土曜ワイドラジオTokyo」「永六輔その新世界」「昨日のつづき」「米朝よもやま噺」「つボイノリオの聞けば聞くほど」「日本列島ここが真ん中」「永六輔 – 京子と那覇で」「ここが地球の真ん中」などがある。

そのほか、長きに渡って株式会社浅田飴のテレビCMに出演していたことがよく知られている。老若男女問わず、広く国民に「浅田飴のおじさん」として親しまれた。そこで発していたセリフ「咳・声・喉に浅田飴」を引用し、1996年には「せきこえのどに六輔」という著書も出版している。なお、実は浅田飴のCM出演は1970年・1983年・1996年と、13年ごとであったという事実がある。

著書(共著・編著を含む)には、「あの日のあなた」「一人ぼっちの二人」「わらいえて」「誰かとどこかで」「極道まんだら」「一泊二食三千円」「あなたのひとりごと」「みだらまんだら」「貴女と二人で」「役者その世界」「妻一人娘二人猫五匹」「タレントその世界」「一泊二食三千円」「死にはする殺されはしない」「おしゃべりまんだら」「明治からの伝言」「四苦八苦映画百本」「寿徳山最尊寺」「テレビファソラシド」「変だと思いませんか?」「アイドルその世界」「六輔からの親展」「東奔西走大絶讃」「六・八・九・の九」「なんといううまさなんというへた」「一般人名語録」「三歩下がって師の影を飛ぶ」「評論家ごっこ」「大語録天の声地の声」「二度目の大往生」「あの町この人その言葉」「芸人」「学校ごっこ」「せきこえのどに六輔」「土曜日に逢いましょう」「もっともっとしっかり、日本人」「沖縄からは日本が見える」「あの世とこの世」「あなたに伝えたい」「想像力と創造力」「永六輔のえいっ!」「生き方、六輔の。」「六輔の遠近メガネ」「畠のラジオ」「伝言」「あの世の妻へのラブレター」「畠のラジオ」「世間にひと言心にふた言」「ボケない知恵」「上を向いて歩こう – 年をとると面白い」「男のおばあさん」「永六輔のお話し供養」「誰かが誰かに」「七円の唄」「父と娘だけで・・・」「無名人のひとりごと」「はがき万葉集」「誰かとどこかで」「ぼく達はこの星で出会った」「永六輔の特集」「あがペ・ボランティア論」「人生万歳」「逢いたい」「言わねばならぬッ!」「生きているということは」「ことづて」「ラジオを語ろ」「愛しい人へ」「北から、南から」「めぐりあい」「バカまるだし」「この日、集合。」「ふたりの秘密」「ふたりの品格」「いい医者いい患者いい老後」「歌の力」「ぢぢ放談」「ははははハハハ」「日本に生まれてよかった!」「レンズとマイク」「笑って、泣いて、考えて。」など、枚挙に暇がない。

主な受賞歴に、菊池寛賞、毎日芸術賞特別賞、ギャラクシー賞(45周年記念賞)、日本レコード大賞(特別功労賞、没後に受賞)などがある。

東京都内にある自宅にて死去。死因は、肺炎であった。83歳。2010年に前立腺癌およびパーキンソン病であることを公表の上、投薬治療を受けるなどの闘病生活を続けていた。担当医師によれば、直接の死因は肺炎であるが、老衰と呼べるほど穏やかに息を引き取ったという。

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