遠藤実

(えんどうみのる)
作曲家。第二次世界大戦後における日本を代表する作曲家の1人。「星幸男」の名義で活動していたこともある。勲三等旭日中綬章・旭日重光章受章者。文化功労者。国民栄誉賞受賞者(没後の2009年)。

生み出した楽曲は、歌謡曲、特に演歌が多く、森昌子や千昌夫など多数のアーティストの楽曲を手掛け、育て上げた。作曲数は優に5,000曲を超えると言われている。

日本コロムビア専属の作曲家だったが、1965年に契約を解除し、太平音響株式会社を設立、専務取締役に就任する。その後、代表取締役に昇格、社名を「ミノルフォン」に変更。ほどなくして、社長の職は辞するも、株式会社徳間書店の買収を受け、徳間ジャパン(現・徳間ジャパンコミュニケーションズ)に改組。現在まで発展する基礎を作る。その他、日本音楽作家協会設立者・会長・名誉会長、日本音楽著作権協会会長、日本大衆音楽文化協会会長、日本作曲家協会会長などの要職も歴任。その傍らで、数々の楽曲を作曲。1988年には心臓のバイパス手術を受けるも、精力的な活動は継続。

代表的な作品に、「おひまなら来てね」(五月みどり)、「こまっちゃうナ」(山本リンダ)、「高校三年生」(舟木一夫)、「星影のワルツ」「北国の春」(千昌夫)、「せんせい 」「おかあさん」(森昌子)などがある。その他にも、「破れソフトのギター流し」「からたち日記」「浅草姉妹」「初恋マドロス」「襟裳岬」「哀愁出船」「仲間たち」「君たちがいて僕がいた」「新宿そだち」「くちなしの花」「中学三年生」「さすらい」「ひとりぼっち」「哀愁列島」「大東京音頭」「ふたりの坂道」「君は人のために死ねるか」「南風」「雪椿」「ときめきワルツ」「荒野をひとり」「歌」「火の酒」「季節の中で」など、多数。

また、新潟市立西内野小学校、壱岐市立芦辺小学校、新潟県立長岡明徳高等学校、由利本荘市立岩城中学校、佐川急便など、多くの学校の校歌や、企業の社歌も作曲した。

主な受賞歴に、最も名誉ある国民栄誉賞(作曲家としては4人目)に加え、日本演歌大賞など。

東京都中央区にある病院にて死去。死因は、急性心筋梗塞であった。76歳。

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