トニー谷

(とにーたに)
舞台芸人・ヴォードヴィリアン・俳優。なお、ヴォードヴィリアンとは、ヴォードヴィル(ボードビルとも)と呼ばれる手品・漫才・歌・踊りなどのパフォーマンスを舞台で演じる者を指す。オールバックの髪型に、髭、変わった形のメガネという独特のルックスで人気を博した。「トニーグリッシュ」(「トニングリッシュ」とも)と称される英単語を織り交ぜた軽妙なトークと、そろばんをかき鳴らし楽器のように扱うオリジナルの芸風が持ち味。

東京市京橋区(現在の東京都中央区)に生まれ、父親(実父は死亡しており、血縁上は伯父にあたる人物)より虐待を受けるなど厳しい幼少時代を過ごす。第二次世界大戦に徴兵されたのち、1940年より第一ホテル東京に勤務しながら演芸会などで司会やパフォーマンスを披露したのが芸人の道の第一歩と考えられる。その後、ジャズコンサートなどのイベントにおける司会者として「芸能界の寵児」と呼ばれるほどの人気を集め、一気にスターダムにのし上がった。ほどなくして、数々の宝塚映画や東宝映画に出演し、森繁久彌と共演するなど俳優としても引っ張りだことなる。

しかしながら、共演女性に対するセクハラまがいの行為や、数々の無礼な振る舞いが次第に問題となる。さらには1955年、長男が誘拐されるという「トニー谷長男誘拐事件」が発生し、犯人が「(トニー谷の)人を小馬鹿にした芸風に腹が立った(から犯行に及んだ)」と発言したことも相まって世間からの批判が激しくなり、一気に人気が凋落。それでも、元々はラジオ番組からテレビに進出した歌謡番組「ニッケ・アベック歌合戦」への出演をきっかけにして徐々に人気を取り戻し、以後、長きに渡って芸能界で活躍した。

出演した映画には、「大日本チャンバラ伝」「王さまの剣」「海抜0米」「学園広場」「東京オリンピック音頭/恋愛特ダネ合戦」「てなもんや三度笠」「サラリーマン物語 – 大器晩成」「腰抜けガン・ファイター」「九ちゃんの大当りさかさま仁義」「東京さのさ娘」「アイ・ジョージ物語 – 太陽の子」「新・狐と狸」「豚と金魚」「権九郎旅日記」「大笑い次郎長一家」「団地親分」などがある。

東京都内にある病院にて死去。死因は、肝臓癌であった。69歳。マスコミ嫌いであり、新聞記者の取材を一切断るという信念を貫いていたことに加え、死去日が日本を代表するトップスターである石原裕次郎氏が亡くなった前日だったということもあり、一世を風靡した芸人であるにもかかわらず、訃報がマスコミで大きく報道されることはなかった。

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