鶴岡一人

(つるおかかずと)
元プロ野球選手(内野手)・監督・野球解説者。黄金期の南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)を支えた監督の1人として、「ミスターホークス」「鶴さん」「鶴岡親分」「ドン鶴岡」など、多様な呼び名を持つ。また、日本のプロ野球史上、一軍における最多勝(1,773勝)を誇る監督でもある。6割を超える勝率も他の追随を許さない。1991年、プロ野球選手として初めての勲四等旭日小綬章を受章。

現役時代は、南海軍グレートリング南海ホークスに所属し、三塁手を始め、二塁手・一塁手・外野手もこなせるユーティリティプレイヤーだった。プロ生活8年での通算成績は、754試合出場、790安打、61本塁打、467打点、打率2割9分5厘。本塁打王・打点王・ベストナインを各1回ずつ獲得している他、3度の最高殊勲選手(MVP)選出、2度のオールスターゲーム出場も経験している。なお、1946~1958年は「山本一人」(やまもとかずと)名義での登録だった。野球殿堂入りは1965年、監督在任中のことだった。

著書に、「御堂筋の凱歌 栄光と血涙のプロ野球史」など。

死因は、動脈血栓症による心不全であった。83歳。

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