カルロス・クライバー

指揮者(ドイツ)。同じく指揮者で、世界的に著名なオペラハウス「ベルリン国立歌劇場」にて音楽監督も務めていたエーリヒ・クライバーの息子。バレエダンサーであるスタニスラヴァ・ブレゾヴァル(Stanka Brezovar)の夫。第二次世界体制を機にアルゼンチンに亡命、のちにオーストリア国籍を得る。

指揮者デビューは1954年、ポツダムの劇場におけるミレッカーのオペレッタ「ガスパローネ」であった。背景に父であるエーリヒ・クライバーの尽力があったことは言うまでもないが、一方で息子の音楽活動を痛烈に批判することもあり、その関係性は傍から見ると非常に微妙なものであった。

その後、スイスのチューリッヒ、ドイツのデュッセルドルフなどのヨーロッパにおける劇場で指揮者を務め、1966年、エディンバラ音楽祭においてアルバン・ベルクの「ヴォツェック」を指揮して高い評価を得た他、1968年にはドイツのバイエルン州ミュンヘンにある著名な歌劇場「バイエルン国立歌劇場」の指揮者となったことで世界的な指揮者の一員となる。

たびたび来日も果たしており、大阪フェスティバルホールや昭和女子大学人見記念講堂などで公演を行った。

指揮を行った演奏のディスコグラフィ(音源)は、ウェーバー歌劇「魔弾の射手」、ベートーヴェン交響曲第5番ハ短調Op.67「運命」、ヴェルディ歌劇「椿姫」、ヨハン・シュトラウス2世喜歌劇「こうもり」、シュトラウス楽劇「ばらの騎士」、ヨハン・シュトラウス2世喜歌劇「こうもり」、モーツァルト交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ」など、LP・CD・LDなどの形で数多く残されている。

妻の故郷であるスロベニア共和国のコニシツァにて死去。死因は、前立腺癌であった。74歳。晩年は闘病生活を送っていたこともあって公には姿を現さず、詳細な状況は不明だが、前年に妻を亡くしたことなどに落胆の末、自殺したという説もある。

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