那須博之

(なすひろゆき)
映画監督。脚本家である那須真知子の夫。

深作欣二監督・菅原文太主演のやくざ映画「仁義なき戦い」に強烈なインパクトを覚えて監督を志し、東京大学を卒業後、映画製作・配給会社である日活株式会社に入社。日活ロマンポルノ(日活で制作・配給された成人映画レーベル)作品において数々の実績を残していた田中登や曽根中生らに師事し、助監督として従事する。映画デビューは1982年、やはり日活ロマンポルノであった「ワイセツ家族 母と娘」。以後、ポルノ作品を中心に、徐々に他のジャンルの映画も手掛けるようになる。

注目を集めたのは1985年、きうちかずひろの人気コミックを原作とし、仲村トオル・清水宏次朗・中山美穂ら、現在でも一線で活躍する俳優たちをキャストに配したアクション映画「ビー・バップ・ハイスクール」の監督を務めたことがきっかけであった。以後、「ろくでなしBLUES」「新・湘南爆走族」など、いわゆる「不良映画」を監督する機会がたびたび訪れた一方で、「紳士同盟」「右曲がりのダンディー」「デビルマン」など、小説や漫画を原作とした作品なども数多く手掛けた。また、「ビー・バップ・ハイスクール」以降の全ての作品においては、脚本を妻である那須真知子が担当している。

その他に監督を務めた主な作品には、「セーラー服 百合族」「姉日記」「ルージュ」「タブーX倒錯」「ヴァージンなんか怖くない」「新宿純愛物語」「地獄堂霊界通信」「あばれブン屋」「武闘派黒社会」「モー娘。走る!ピンチランナー」「真説タイガーマスク(遺作)」などがある。

受賞歴に、ヨコハマ映画祭監督賞(1987年、「ビー・バップ・ハイスクール」にて)などがある。なお、上述した「デビルマン」は興行的には失敗の上、酷評の対象にもなっており、文春きいちご賞(最低映画賞)、蛇いちご賞(最低映画賞・最低監督賞)を受賞している。

死因は、肝臓癌であった。53歳。

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