宮澤喜一

(みやざわきいち)
政治家。「宮沢喜一」(読み同じ)と表記されることも多い。元内閣総理大臣。衆議院議員・参議院議員の双方を務めた。政治家・弁護士であった小川平吉の孫。政治家・衆議院議員であった宮澤裕の息子。自治官僚・政治家である宮澤弘の兄。女優・タレントである宮澤エマ(旧芸名・ラフルアー宮澤エマ)、及び実業家である宮澤沙羅の祖父。

第78代内閣総理大臣(1991年11月~1993年8月)の他、竹下登総理大臣(当時)の下では副総理大臣を務めた。その他、農林水産大臣、大蔵大臣、財務大臣、郵政大臣、通商産業大臣、外務大臣、内閣官房長官、経済企画庁長官、自由民主党総務会長などの要職を歴任。所属政党は、自由民主党。

政治家・大蔵官僚で、内閣総理大臣も務めた池田勇人と縁が深く、政界入りにも池田氏の意向が大きく関わっていると言われている。1953年に、広島県選挙区にて参議院議員通常選挙に出馬、初当選を果たす。その後は着々とキャリアを積み、42歳にして経済企画庁長官に就任したことを始め、上述したような閣僚や要職を歴任していった。通算で、参議院議員は2期、衆議院議員は12期務めた。2003年に政界を引退。

著書(一部、共著を含む)に、「東京 – ワシントンの密談」「戦後政治の証言」「社会党との対話」「新・護憲宣言」「21世紀への委任状」「ハト派の伝言」「対論改憲・護憲」「将来経済の構想」「美しい日本への挑戦」「保守本流の軌跡」などがある。

自宅にて死去。死因は、老衰であった。87歳。本人の意向により、大勲位菊花大綬章を始めとする勲等勲章などの受勲は辞退。

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