星野勘太郎

(ほしのかんたろう)
プロレスラー・プロモーター。本名は呂建夫(ヨ・コンブ)で、在日韓国人として兵庫県神戸市に生まれた。「突貫小僧」と呼ばれ、いぶし銀のレスラーとして人気を博した。

1967年には、山本小鉄とのタッグで武者修行のためアメリカに渡り、「ヤマハ・ブラザーズ」(The Yamaha Brothers)として活動。現地では、老人の観客にナイフを脳天に突き立てられたこともあったという。帰国後は、ジャイアント馬場アントニオ猪木と組んで6人タッグでメイン・イベントをこなすなど、人気レスラーとして活躍した。

主な得意技は、フライング・ヘッドバット、パイルドライバー(山本小鉄とのコンビで見せた連携技「ハイジャック・パイルドライバー」も得意)、ダイビング・ボディ・プレス、ブレーンバスターなどがある。

1995年の引退後は、プロレスの試合を企画・興行する興行主(プロモーター)として活躍。2002年には現場に復帰し、「ビッシビシ行くぞ!」「ビッシビシ行くからな!」などをリング外で連発するなどで話題を呼んだ(プロレス流行語大賞を受賞)。

獲得した主なタイトルに、NWA世界タッグ王座、NWA南部ジュニアヘビー級王座、IWA世界タッグ王座、ジャパンカップ争奪「イリミネーション・タッグ・リーグ」優勝、NWAタッグ・リーグ優勝などがある。

入院していた病院にて死去。死因は、肺炎であった。67歳。1年9ヵ月ほど前に、脳梗塞を発症して倒れ、病院に緊急搬送されたことがあった。以後、リハビリ生活を送っていたという。奇しくも、同年8月には、タッグパートナーであった山本小鉄が亡くなったばかりであった。

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