ジャイアント馬場

(じゃいあんとばば)
プロレスラー・タレント・元プロ野球選手。日本のプロレスを代表する1人で、力道山やアントニオ猪木と並び、プロレスそのものを象徴する人物と言っても過言ではない。全日本プロ・レスリング代表取締役社長・会長、ナショナル・レスリング・アライアンス(NWA、アメリカ合衆国のプロレスプロモート連盟)第一副会長など、要職を歴任した。出身地である新潟県三条市の名誉市民でもある。

プロレスラーになる前、読売ジャイアンツで投手を務めていたのは有名な話である。風呂場で転倒した際の左腕・左指の外傷により、選手継続を断念し、力道山に入門を直訴してプロレスラーに転向した。

その後、全日本プロ・レスリング株式会社(全日本プロレス)を旗揚げし、ハーリー・レイス、ドリー・ファンク・ジュニア、ザ・デストロイヤー、タイガー・ジェット・シン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク、バーン・ガニア、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディなど、数々の外国人レスラーとも名勝負を繰り広げた。

209cmの巨体と足の大きさを活かした16文キックや32文ロケット砲、脳天唐竹割り、河津落とし、アトミック・ドロップ、ジャイアント・ニー・ドロップ、ジャイアント・バックブリーカーなど数々の得意技を持つ。

死因は、大腸癌(上行結腸腺癌)の肝転移による肝不全であった。61歳。全日本プロレスの取締役を務めるなど常にそばにいたジャンボ鶴田三沢光晴を始め、外部には病状を一切知らせていなかったとのこと。

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